新・改革通信 NO.85 (2008.04.27) 「謗法」呼ばわりして破門した、創価学会の供養で放蕩する “意地汚い”日顕ファミリーが、宗門を食いつぶす!

「法教院」存続のため、十年後には三人に一人が無任所教師
 開目抄に云く
 「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ」(御書 二〇〇頁)
 建長五(一二五三)年四月二十八日、日蓮大聖人は安房国清澄寺で立宗宣言されたが、その宣言は、受難を覚悟の師子吼であった。
 そして、大聖人は予見通り、種々の難にあい、最後には、竜口で「首の座」にすえられたが、「これほどの悦びをばわらへかし」と、法華経に命を捧げることは、むしろ喜びであると、威風堂々とした御本仏の境涯を示された。
 この大聖人の不惜身命の精神を受け継いでいる真の弟子だけが、本当の意味で、「立宗宣言」の日を祝うことができる。その真の弟子こそ、「投獄」という大難を受けた創価学会の三代の会長であり、共に戦う創価学会のメンバーである。
 今の宗門の繁栄はすべて、その三代会長の外護の賜物である。ところが、日顕らはその大恩に対して「破門」という仇で返した。そんな畜生にも劣る日顕・日如らに「立宗」を祝う資格などない。いくら、宗門が立宗会の儀式を行っても、それは日蓮大聖人の御精神に違背し、かえって日蓮大聖人を貶めるものでしかない。


自分たちが正しいと言うなら、「身延離山」に習い、
「謗法」の布施をすべてを捨て去れ
 日顕は正本堂を破壊した理由を、「謗法の団体」である創価学会が寄進したからだ、と言った。しかし、その理屈で言えば、本山の総坊なども含め、三百以上の学会寄進の寺院はすべて破壊されねばならない。
 それだけではない。長年、創価学会員から受け取った膨大な供養もすべて「謗法の布施」になる。
 日顕らが、自分たちに正義があると言うなら、「身延離山」に習い、謗法の団体から供養された寺院と供養金は、すべて捨て去るべきである。そうでなければ、筋が通らない。
 ところが、日顕は、正本堂以外の供養はすべて自分たちの物と言い、その供養金で放蕩を繰り返している。実に、金に汚い、卑しい人間たちだ。


政子の2億円近いマンションの購入費も、
もとを糾せば、「謗法」の創価学会の供養金
 「同盟通信」で、日顕の妻、政子が二億円近いマンションを購入していたことが暴かれ、宗内外で大きな波紋を呼んでいる。
 では、その金はどこから出ているのか。もとを糾せば、それもすべて長年、創価学会員が供養したお金と言える。
 創価学会のことを謗法となじる一方で、その創価学会が寄進した寺院に住み、日顕ファミリーにいたっては、過去に学会員から受け取ってきた供養金を貯めこみ、それで贅沢をしている。信心以前に、人間としての節度がない。
 宗門は本年までの三年間で記念事業のための供養として、九十億円集めようとしているが、あと四十億円足りない。この供養収奪地獄で、信徒は悲鳴を上げている。
 こんな時に、隠居した法主の女房が2億円近いマンションを購入していたという話が広がれば、信徒は供養する気力が失せるであろう。


十年後には、三人に一人が無任所教師
 日顕は、すべての財を自分の物にして人に渡そうとしない、その醜い姿は「餓鬼」そのものである。その日顕の汚い成金根性が宗門を食いつぶそうとしている。そのいい例が、日顕が見栄のために作った「法教院」だ。
 宗門には、現在、約二百五十名の無任所教師がいる。そして、「法教院」を存続させるため、毎年二十名弱の得度者を受け入れている。
 宗門に幻滅して還俗する者を差し引いて、毎年、十五名の教師が誕生するとする。そして、かつて日顕が言っていたように、平均五名の住職が亡くなり、五名が住職になると計算すると、毎年、無任所教師が十名ずつ増えることになる。すると、十年後には無任所教師が三百五十名になる。
 住職等のポストは約六百五であるから、住職と無任所教師の比率から言えば、教師のうち三人に一人が無任所教師ということになる。


三十年後に、半数が無任所教師ということも
 さらに、三十年後には無任所教師は五百五十名に、五十年後には七百五十名になり、全体の半数が無任所教師になる。恐ろしいことに、それ以降は、教師よりも無任所教師が多くなっていくのだ。
 ただし、これは今ある末寺が存続するという条件での計算だ。宗門の信徒である法華講は高齢者が多く、三十年後には、信徒数は激減し、末寺も廃統合されて、五百ほどになっているかもしれない。そうすると、すでに三十年後には、教師の半分が無任所ということも十分に有り得るのだ。
 
 おそらく、日顕の死後、「法教院」は閉鎖されるであろう。そうしなければ、宗門自体が潰れてしまう。そして同時に、日顕ファミリーの栄華もいつまでも続かないであろう。ファミリー以外の僧侶たちが、いつまでも黙っているはずがない。(編集部)

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