新・改革通信 NO.110 (2011.10.15) 17年間、宗門が「ニセ本尊」と騒いでも何の影響もなし 宗門も末寺の本尊の脇書をこっそり削除 [日蓮正宗改革同盟]
この十七年間、日顕らは、よほど悔しかったのか、”創価学会の御本尊はニセモノだ”と言い続けている。
日顕らは”御本尊下附を停止すれば、創価学会は困り、必ず頭を下げてくる”と安易に考えていた。
しかし、事態は日顕らが全く予期していなかった展開となった。
日顕らは何とかして自分たちの権威を守るために、創価学会の御本尊授与に対して、「許可がない」「開眼していない」などと騒ぎたてた。
しかし、腐敗堕落した宗門の脅しなど、まったく通用しなかった。
しかし、創価学会は微塵もダメージを受けていない。
それどころか、布教が爆発的に拡大し、組織は世界に大発展している。
そもそも日顕が、自分の許可がなければ、創価学会員が成仏できないと考えていること、すなわち、自分が衆生の成仏・不成仏を決定できると思っていることが、増上慢の極みである。
日蓮大聖人の仏法は久遠元初より未来永劫にわたる不変不滅の法である。その仏法を日顕ごときが恣意的に操れると考えているところに、すべてを支配しようとする第六天の魔の特徴が現れている。
正しい信心があれば、そのような魔の本質を見抜いて、紛動されることはない。
だから、広宣流布の団体である創価学会は、衣の権威などに屈することなく、堂々と世界広布の道を邁進している。そして、世界中の会員が功徳の花を満開に咲かせている。
日顕が十七年間、騒いでも何の影響力もない。かえって衣の権威が無力であることが証明されただけだ。
また、日顕の息子・信彰が大修寺の住職を務めていた際に、全国の末寺に先駆けて、本堂の板御本尊から名誉会長の文字を削除していた。
この一連の脇書削除によって、脇書が御本尊の本体でないことが立証された。
つまり、脇書きを消しても御本尊の功徳には変わりがないことを宗門自らが証明したのだ。
「学会の信心はきちと結果がでるんだ。宗門では七百年間そういうことがなかったんだ」
日蓮正宗七百年間の歴史において、創価学会が初めて、御本尊の偉大さを証明したことを日顕自身が認めていたのである。
唱題も折伏もしてこなかった僧侶たちが、御本尊の功徳を論ずることなどできるはずがない。(続く)