新・改革通信 NO.128 (2012.03.06)創価学会出現以前の宗門の「秘史」(一) 五十三世日盛法主・失踪事件

日顕が危惧した『日霑上人伝』の再版
 近代の宗門の歴史を紐解くと、法主絶対とか法主無謬という考えは単なる幻想であることがよく分かる。
 平成元年六月、五十二世日霑法主の百回忌を記念して、絶版になっていた『日霑上人伝』が再版された。
その際に日顕は
「内容的に赤裸々な形の所もあり、一般の信徒の方に広くお分かちするには多少どうかと思われる」
と評している。
すなわち、その『日霑上人伝』には、一般の信徒に知られたくない内容があるという意味だ。その内容とは何か?
日霑法主自筆の自伝が初めて公開されたのは、明治二十四年五月発行の『布教会報』においてであるが、連載の第五回目に、前号の内容を大幅に削除すると記されている。
 ところが、再版された『日霑上人伝』には、その削除された箇所が、そのまま掲載された。日顕が一般信徒に知られたくないという内容はこの削除された部分のことである。
削除されていた五十三世日盛失踪の経緯
それでは削除された部分を説明しよう。
大石寺の火災のことで、僧侶たちが、日盛法主を追及。
   ↓
前法主・日霑は、その紛争に耐えきれず、密かに大石寺を下りた。
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日霑法主が下山したことを知った僧侶たちは驚いて、日盛法主と和解。
   ↓
塔中の代表と檀家の総代が、日霑法主に大石寺に戻るように懇願。
   ↓
それを受けて、日霑法主が帰山すると、今度は、日盛法主が失踪。
   ↓
日盛法主が見つからないため隠居していた日英法主が再び登座。
   ↓
高齢のため、日英法主はわずか一カ月で辞任し、日霑法主が再び登座。
すべては日霑法主の陰謀と考えた日盛法主
この伝記の内容は、日盛法主側から見ると全く別なストーリーになる。
『諸記録』に収められた手紙によると、日盛法主は、以下のことを日霑法主の陰謀と考えていた。
①大石寺の火災後、本山の僧侶たちが自分を追及したこと
②日霑法主がわざと大石寺を離れて帰山の懇願が起こるように仕掛けたこと
③つなぎの法主として日英法主を一カ月だけ登座させた
このすべてが、日霑法主が再び登座して”大石寺を乗っ取る”ための陰謀であったと考えていたのである。
再度の火事を”日盛法主の怨念”と述べた日霑法主
日霑法主が再度登座した半年後、大石寺はまた火災を起こし、蓮葉庵を焼失した。
この時、日霑法主はこの火事を「何か仏意を穢し奉り候御誡」、すなわち仏罰か、それとも日盛法主の「我等へ御怨念之深々相懸候事も之あるか」、つまり、日盛法主の怨念によるものだと述べている。

創価学会が出現する以前の宗門では、法主が互いに疑心暗鬼になって、中傷し合うこともあった。法主も人間であり、時には判断を間違う。日顕はそのような史実が信徒に知れ渡ることを危惧していたのだ。
しかし、宗門が”法主絶対”を言い張るのであれば、事実をきちんと歴史に残さなければならない。(続く)

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