新・改革通信 NO.136 (平成29年9月1日)なぜ、日蓮正宗は「戦争責任」を認めないのか(下) 僧侶は信徒に対して「加害者」であるから謝罪すべき

 日蓮正宗は「日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない」と言い訳しているが、筋が通らない。なぜなら、法主と宗門僧侶は信徒に対して「指導的立場」にある以上、”加害者”である。だからこそ、他の教団は「僧侶」として、戦争荷担を認めて、謝罪しているのだ。


宗門が戦争責任を認めない理由は、法主無謬論
 宗門が戦争責任を認めない理由は、法主絶対・法主無謬を宗是としているからだ。日恭法主が戦時中、侵略戦争を賛嘆し、宗内挙げて積極的に戦争に加担した事実を認めることは、法主が間違いを犯したことを認めることになる。それは同時に、宗門の”血脈信仰”を揺るがすことになる。法主が間違いを犯すならば、法主だけに伝わる血脈や法魂の正体は何か――という疑問が出てくるからだ。


宗門がなすべきことは
 宗門が宗教団体として為すべきことは
戦時中の戦争協力の謝罪、「訓諭」「院達」等の失効、御書の御文削除等の撤回である。
そしてもう一つ、改めて宗門が反省すべきことは
創価学会の牧口初代会長と戸田第二代会長を登山停止・信徒除名にしたことに対する謝罪と名誉回復を行っていないことである。


宗門を支えているのは過去の創価学会からの供養
 宗門は創価学会から、約100万坪の本山用地と356の寺院の寄進を受けている。寄進寺院は現在の寺院数の半分を超え、宗門への金銭的援助のために始めた「登山会」の参加者数は7千万人に上り、本山と末寺に対する金銭的供養は計り知れない。その供養がなければ、今の宗門はない。
我々が改めて牧口・戸田両会長の名誉回復をしなかったことを指摘するの理由は、宗門問題以降、学会への恩義を忘れ、宗門が自分たちの都合の良いように両会長の指導を引用しているからだ。保身のために両会長を処分し、名誉回復も行わず、その言葉だけを利用するのは、あまりにも卑怯である。


日蓮正宗は社会的評価が低いから
戦争責任を追及されないだけ
 創価学会を破門にした今の宗門の規模は寺院・教会、布教所も含めた数が705で、日蓮宗の5165いう数字(『宗教年鑑 平成28年版』)に比べると弱小と言える。しかも、そのうち3割が本山から援助を受けないと生活できない困窮寺院である。このような小さな宗派であるから、社会的な評価も低く、戦争責任を追及されないのが現状であろう。
宗門僧侶が自らの変革を願わない限り、今の宗門の”信徒を犠牲にしても構わない”という信徒蔑視の体質を変革することはできないであろう。

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