新改革通信 第167号「宗門問題を理解するために」(2) 令和4年4月5日

新改革通信 第167号 令和4年4月5日

「宗門問題を理解するために」(2)

宗教改革とはどういう運動でしょうか? 有名なものは16世紀のキリスト教世界における教会体制上の革新運動です。「原始キリスト教精神に帰るルネサンス的運動」とも言われ、教会の世俗化や聖職者の堕落などへの反発がカトリック教会を分裂させ、プロテスタント教会を樹立させました。そういう意味では、前回に述べた大乗仏教の誕生も宗教改革と呼べるでしょう。今回は、宗門問題における宗教改革について考察します。

宗教改革とは、宗教的依存・隷属からの自立

1、釈尊は人々の自立、差別からの解放を目指した

 仏教が誕生したインド社会は、カースト制度による厳しい差別社会でありました。釈尊は生まれによる差別を否定し、「行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンとなる」(中村元訳『ブッダのことば』)と、差別からの解放を説いたのです。
 また、釈尊は入滅に際して、弟子に次のような言葉を残しています。
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(中村元訳『ブッダ最後の旅――大パリニッバーナ経』)
 ここに示された「自己」とは、偏見や利己心にとらわれた「小我」ではなく、「法」と一体となった「大我」のことを指すといえます。この「大我」に立脚してこそ、自立した真の「自己」であり、その自立した「自己」によって、煩悩・エゴの生命を変革していくことが、仏法の目的なのです。

2、日蓮大聖人は唱題行による自立した信心を説いた

日本では奈良時代に始まった荘園制によって寺院は大荘園領主となり、比叡山などは荘園から納められる米を元手に高利の金融業を営んでいました。財力と権力を持った僧侶たちは民衆救済を忘れて、世俗的な生活をしていたのです。また、当時の仏教は寺院と僧侶が中心で、成仏は難しいものとされていました。念仏は民衆に広まりましたが、死んだ後に極楽浄土へと往生するという教えでした。
そのような時代に、日蓮大聖人が「南無妙法蓮華経」と唱えれば、誰でも自分の生命にある仏界を湧現することが可能であると説いたことは、実に革新的なことだったと言えるでしょう。なぜなら、人々は僧侶や寺院を介することなく、唱題という自立した信心の修行で成仏することができるからです。
日蓮大聖人は晩年まで大坊(身延)を建立することはありませんでした。民衆の中で法を説いて、僧俗・男女の差別なく励まし、自立した人生を歩むことを教えてくださったのです。

3、宗門は信徒を隷属させ、支配しようとする

 今の宗門は“信徒は寺院に参詣し、本山(大石寺)に行かなければ成仏できない”と教えています。信徒は寺院や僧侶を通さなければ、仏界につながることはできないということです。これは、かつてローマ教会が“教会と聖職者を通してのみ神を知ることができる”と説いたのと同じです。それに対して“聖書を通してのみ神を知ることができる”と異を唱えたのが、16世紀にキリスト教界に起こった宗教改革です。
また、宗門で御書の講義が出来るのは、法主と法主の名代としての僧侶だけです。信徒が講義をすることは許されていません。信徒が信心を学ぼうとすれば、寺院や僧侶を通さなければならないのです。宗門は信仰を利用して、信徒を寺院に隷属させていると言っても過言ではないでしょう。
 創価学会が誕生する前の宗門では、ほとんどの信徒は勤行も折伏もしていませんでした。“法を説くのが僧侶で、信徒は供養する者”という考え方だったのです。信徒は“僧侶の生活を支える糧”と見なされているのです。

4、人々の自立、隷属からの自由を目指すのが創価学会の宗教改革

 人々の自立を説く仏教が、僧侶によって人々を寺院に依存・隷属させるものとなってしまいました。それを改革するのが現代の宗教改革です。
 創価学会は長年の間、宗門を外護してきました。戦後、5万坪であった大石寺の敷地は、創価学会の寄進により117万坪に拡がりました。また、創価学会の寄進で建てられた寺院・建物の合計は356カ所に及びます。しかし、宗門が発展するとともに、裕福になった僧侶たちは贅沢や遊興にふけるようになり、貧しかった時代を忘れた僧侶たちは、次第に学会員への感謝を忘れて衣の権威を振りかざすようになったのです。
 そのような宗門に対して、創価学会は“大聖人の御精神に還るべきである”と諫言しました。宗門はそれに対して「お尋ね」なる文書を創価学会に送付してきましたが、その内容は「僧俗がまったく対等の立場にあるように言うのは、信徒としての節度・礼節をわきまえず、僧俗の秩序を失うものである」と僧俗平等を否定し、“ベートーヴェンの「第九」の「歓喜の歌」をドイツ語で歌うことは、「外道礼讃」である”という教条主義的なものでした。
 宗門の改革を訴える創価学会に対し、最終的に宗門は、「破門」を通告してきましたが、創価学会は“魂の独立”と意義づけ、“衣の権威”から自立した信心を築いたのです。その後、創価学会は世界192ヵ国・地域に発展し、世界宗教として大きく飛躍しました。

 次回は「僧俗差別との戦いは人間の可能性を守るもの」というテーマでお届けします。

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