新改革通信  「宗門問題を理解するために」(4)令和4年4月15日

新改革通信

「宗門問題を理解するために」(4)

 日本では亡くなった人を「仏」と呼び、誰でも亡くなれば仏(ホトケさま)になるという考えや死後に極楽浄土に行くことが「成仏」であるというイメージが定着しています。
 宗門の僧俗差別と戦う中で、私たちはあらためて「即身成仏」の意義を確認することができました。今回は大聖人直結の信心こそ、成仏の直道であることを論じます。


宗門問題により明確になった成仏の意義

今回の論点

1、釈尊を神格化し、成仏は難しいと説いた出家者たち

 原始仏教の経典には、釈尊の覚りについて「即時に効果の見られる、時を要しない法」「まのあたり即時に実現され、時を要しない法」と書かれています。このことについて中村元氏は「この文から見ると、ニルヴァーナは即時に体得されると考えていたのである」(『ブッダの言葉』)と述べています。「ニルヴァーナ」は「涅槃」を指し、悟りの智慧(菩提)を完成した境地を言います。すなわち、釈尊は「即身成仏」を説いていたことになります。
 ところが部派仏教の時代になると、釈尊を神格化して、偉大な人格は今生だけの修行で完成されたものではなく、過去の多数の人生での修行に基づくものとされました。そこから、何度も生まれ変わって、極めて長時間に渡る「歴劫修行」が必要になると説かれるようになったのです。そして同時に、その偉大な釈尊に近づけるのは出家者だけであると、出家の優位性・権威が作られたのです。

2、日蓮大聖人は、成仏の「成」は「開く義なり」と説かれている

 釈尊は誰でも、覚りを得て仏に成れることを示しました。そして大聖人は“覚りを得る”修行として、法華経に説かれた根源の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、自行化他の実践をすることを説いたのです。
 法華経以外の諸経では「歴劫修行」が説かれましたが、法華経では、万人にそなわっている仏界を開き現すことで、この身のままで直ちに成仏できる「即身成仏」が説かれました。
 成仏の「成」について、「御義口伝」には「成は開く義なり」とあります。唱題によって自らの仏界を開いていくことが成仏なのです。
 ところが法主の日顕は「お題目を唱えて、我々の仏界涌現、仏界涌現っていうんだ。これはまさしく大謗法だ」(平成6年8、全国教師講習会)と、大聖人の根本の教えを否定しているのです。

3、葬儀と成仏を結びつけ、大聖人直結の信心に介入しようとする僧侶たち

 宗門は「僧侶の引導がなければ成仏しない」「戒名がなければ成仏しない」等々、僧侶抜きの葬儀では信徒は成仏できないと主張しています。このような考えは江戸時代の「檀家制度」で定着したものです。
 檀家制度では、僧侶は檀徒の死後、死相を見届け、檀徒であることを確認して、戒名を授け、引導を渡すことが義務づけられていました。檀徒は、僧侶を呼ばなければ、キリシタンの疑いをかけられ、刑に処されるという恐怖から、必ず葬儀に僧侶を招いたのです。
 宗門が死後の儀礼をさかんに成仏と結びつけようとするのは、そこに自分たちが介入できるからです。唱題をして成仏するという修行には、僧侶は必要ありません。彼らが恐れているのは、大聖人直結の信心により、自分たちが必要ないと思われることです。それを防ぐために、宗門は差別を設け、自分たちの必要性を作り出しているのです。

4、創価学会により証明された「即身成仏」「一生成仏」の教え

 創価学会が誕生した頃、昭和14年の文部省宗教局調査を紹介します。

日蓮正宗の寺院数は75カ寺 住職数は52名
日蓮宗各派の寺院数は4962カ寺、住職は4451名

 宗門がいかに小さな集団であったか分かります。この頃、宗門の檀家のほとんどは、折伏はおろか勤行・唱題もしていませんでした。
 宗門では法主が就任した記念に、御本尊を書写します。そして供養をした檀家に授与していました。ですから、古い檀家の家には多くの法主の御本尊があります。法主が折伏のために御本尊を書写するようになったのは、創価学会が誕生し、折伏を開始してからです。

 宗門では唱題行を軽視していました。その証拠に法主の日顕は以下のように述べています。
「三十分ぐらい真剣に行うことはよいと思うのであります。しかし、それ以上は、多すぎることになってもかえって弊害があります」(昭和59年8月 行学講習会)
 すなわち、創価学会が誕生する前の宗門では、檀家も僧侶も折伏や唱題をしていなかったのです。その結果、700年経っても小さな集団のままだったのです。
 創価学会は大聖人直結の信心で「即身成仏」「一生成仏」の実証を示し、世界に日蓮大聖人の教えを弘めてきました。そこに僧侶の介在は必要ありませんでした。ところが法主・日顕は「ワシが許可した」と言っていたのですから、呆れたものです。
今、宗門が行っている活動は、創価学会のマネでしかありません。しかし学会員の真剣さがないため、折伏の目標はノルマとなり、数をゴマ化して多くの住職が処分されています。

 次回は「宗門問題により浮かびあがった衣の権威の正体」というテーマでお届けします。

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