95年度 日顕法主への戦争責任糾弾の書

戦後五十年を迎え、戦争責任を認めぬ日顕法主
ならびに宗門をあらためて糾弾す

 ここに一通の「戦線便り」がある。――謹啓過日私儀入團に際しまして種々一方ならぬ御配慮に預り誠に有難う存じました御蔭を以て無事入團致し入團式も終了各分隊の配属も終り○○として之より御奉公いたすことになりました。(中略)私も正宗の僧侶として耻づる處無き行動を以て軍務に邁進する覺悟であります。猶私事乍ら留守中の事何分宜しく御願申上げますでは又々申上げます。
○○部隊

阿部信夫

 むろん、貴殿は見覚えがあろう。これは今から五十二年前、昭和十八(一九四三)年末に出征した貴殿が認め、本山宗務院に宛てて送った手紙である。

 当時の『大日蓮』には、貴殿が学徒出陣の一員となり、勇んで出征していった様子が

 「日の丸の旗に送られて勇躍征途に上りて」等と記載されている。
当時、多くの学徒兵たちは死と隣り合わせの戦火の中で、“祖国のために”と信じて散華を強いられた。なかには、戦争に疑問を持ち、時には人間の醜さ、残虐さに失望した学生もいよう。いずれにせよ、大きな歴史の歯車の中で個人の意志は尊重されなかった。

 しかし、我々が問いたいのは、貴殿は一宗の法主として今日、日本が引き起こした先の戦争をどのように考えているのか、ということである。貴殿は、「戦線便り」の中で「私も正宗の僧侶として耻づる處無き行動を以て軍務に邁進する覺悟であります」と述べているが、「正宗の僧侶」の自覚を持ちつつ、勇んで出征した事実をどのように受け止め、総括してきたのか。少なくとも我々は貴殿から直接、そうした反省の言葉はただの一度も聞いたことがなかった。仄聞の範囲でも皆無である。まして、これまで公的な謝罪発言は全くなかった。

 当時、貴殿は二十二才。僧侶歴はすでに十六年にわたり、一人前の仏教者として、十分に仏法の平和思想が理解できる年代だったはずである。貴殿と同世代の若き学徒の中には、仏法は知らなくとも人間として、戦争の持っている非人間性に苦しみ、また、抵抗していった者も多くいた。出征当時の貴殿と同じ二十二才という若き命を散らしたある若者が戦地から送った手紙の中に

 「戦争の倫理性なんて有り得るものであろうか。人を殺せば当然、死刑になる、それは人を殺したからである。戦争は明らかに人を殺している。その戦争を倫理上是認するなんて、一体倫理は人を殺すことを是認するのか。大乗の立場、大乗の立場と強調される。大乗の立場から戦争をみるなら何故人を殺さぬでもよいようにしないのか。人を殺している間に大乗、小乗などの区別はあるものか、すべて悪である」
と、戦争に協力した仏教者に対する痛烈な批判にも似た一文が記されている。また、二十九才で戦死したある青年の手紙には

 「俺の子供はもう軍人にはしない、軍人にだけは……平和だ、平和の世界が一番だ」
と、子供の未来を憂い、平和を願う叫びが残されている。死と直面しながら、彼らが残した痛ましい魂の叫びを、生き延びた人々は、

「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」
と、荒らぶる海神の叫びにたとえている。果たして、貴殿にもこの「こえ」は聞こえたのか。

 本来、僧侶は仏法を奉じる者として、我が命を惜しまず、生命を、平和を守らねばならない。貴殿の「正宗の僧侶として耻づる處無き行動を以て軍務に邁進する覺悟」とは、結局、“正宗の僧侶として一番恥じるべき言動”ではなかったのか。貴殿は「何故人を殺さぬでもよいようにしないのか」という件の若き学徒の問いに今、どう答えるのか。平和を願って逝った人々の訴えに、何をもって応えるのか。

 正宗僧侶の立場から言えば、“日本の侵略戦争に協力した当事者であった”という致命的行為に対する真摯な謝罪なくして、本来、宗門の宗教的生命はない。しかるに、貴殿は、終戦の日から五十年となる本日にいたるまで、ただの一度も自身の戦争責任を謝罪していない。

 それどころか、貴殿は

 二十一世紀に開かれた民主主義の宗門、こんなもの大聖人様の仏法の本質じゃない!  (平成四年一月二十八日、法華講支部指導教師指導会)
 と平気で言い放ち、いまだに軍国主義の権化のごとき言動を繰り返しているではないか。 ある時は、貴殿は所化を目の前にして、戦時中に三百人の兵士を一度に殴った話を自慢気に「五十人くらいのところで、殴っている手が痛くなってきたが、途中で止められないので最後まで殴った」と話したり、また、ある時は「軍隊なんかでは、上官に『気を付け!歯を食いしばれ!』とよく殴られたものだ」と、何も知らない中学生・高校生相手に、旧日本軍の蛮行を肯定する話もしている。そして、貴殿自身が日常的に「貴様! バカヤロー!」などと罵声を浴びせながら、中啓で所化に暴力を振っている。つい先日も丑寅勤行の直前、中啓が壊れるほど容赦なく、貴殿が四人の所化を打ち据えた事件があった。

 貴殿の所化教育の方法はまさに軍隊式である。事実、貴殿は学衆課に

 軍隊では、朝の起床ラッパが鳴って、五分以内にゲートルを巻いて、全部装備して整列しなければならないのだ。しかも、だんだん時間が短くなるんだ。学衆課もそのくらい厳しくやれ!
と命令し、上級者への絶対服従を金科玉条とし、軍事教練さながらの規律を「仏道修行」と称して所化に押しつけている。さらには、

 所化の持ち物を全部均一化しろ。所化の持ち物調査をやれ。軍隊のように、抜き打ちでやれ!
と、軍隊生活と全く同じ命令を下している。未来を担う所化たちに、反戦を説くどころか、軍隊時代の自慢話をし、軍隊式教育を施す貴殿のこの姿を見れば、貴殿には日本の侵略戦争に対する反省の念など皆無であることは、一目瞭然である。

 また、それ以上に我々が問題にしていることは、貴殿の法主としての責任である。我々青年僧侶改革同盟は、これまでにも戦時中の宗門が軍部権力に協力した事実を挙げ、現最高責任者の貴殿に三度、宗門の戦争責任に関する公式謝罪を要求した。その内容は次の通りである。

 太平洋戦争中、時の法主が戦意高揚を目的とした「訓諭」を発するなどして、戦争に積 極的に協力した実態。
戦前、戦時中の「神札の受容」「御遺文の削除」「御書の発禁」「観念文の改変」等々 の謗法の数々。
戦時中、国家権力を恐れ神札を受けることを牧口初代会長らに申し渡し、軍部の追及を 免れるため、神札を拒否した牧口会長、戸田理事長らに対し、登山停止、信徒除名処分 を行った宗門の非道。
法主でありながら、銃を構える格好をし「御本尊は的だ」と指導するなど、所化に軍隊 経験を自慢する貴殿の無反省ぶり。
昨年の韓国における偽装寺院問題、宗門僧侶の外国為替管理法違反事件などの東南アジアにおける現宗門の違法行為。
以上の観点から、世界、とりわけアジア諸国に対する謝罪と、民衆の幸福より僧侶の安寧を優先する宗門体質の改革を求め、宗門の無反省の元凶となっている貴殿の退座を要求したのである。

 しかし、貴殿は、“昔の事など時効”と言わんばかりの態度で開き直り、いまだに宗内にごまかしの言辞を弄している。例えば、本年六月、貴殿は富士学林研究科の開講式で、若手の宗門僧侶たちを前に、

 今日、広島の原爆についてもいまだに様々な後遺症が残っており、最近も色々な議論が起こっているけれども、広島のみならず、日本国中が色々な面で本当に苦しんだのであります。これは過去からの因縁なのです。
と述べている。

 戦後五十年の節目の年に、戦争に加担した宗教団体の法主が、原爆が投下された根本原因を「過去からの因縁」云々などと曖昧に表現し、自らの戦争責任を回避し、戦後生まれの若い僧侶たちを煙にまくことなど、断じて許されるべきことではない。

 しかも、貴殿らは未だ懲りずに、日本の軍国主義の犠牲になった韓国、台湾、東南アジア諸国に頻繁に出かけ、宗門の侵略戦争加担の行為を一言も謝罪せずに、現地での檀徒作りを画策し、他にも社会的犯罪行為を繰り返してきた。当時、これらの国に日本軍の兵士として出征した正宗僧侶もいた。国際関係の信義のうえからも、戦争責任の総括なき貴殿らの海外活動は、断固糾弾されるべきである。

 過去を反省せず、自らの責任をごまかすことしか考えない以上、もはや、貴殿には、宗教者の資質はかけらも存在しない。そんな指導者に「信伏随従」し、隷属する宗教が、どれほど恐ろしいものか。我々は今一度、あまりにも反省なき貴殿ら宗門僧侶の戦争責任を全世界に向かって弾劾する。そして、戦後五十年の今日こそ、日蓮正宗の戦争責任を、貴殿の戦争責任を、自ら総括できる最後の機会であることを、“戦争の亡霊”とも言うべき貴殿に宣告するものである。

[資料]『大日蓮』(昭和十七年一月号)に掲載された「訓諭」

[資料]『大日蓮』(昭和十七年一月号)に掲載された「訓諭」

 戦前の『大日蓮』に記載された宗門の戦争加担の実態については、これまでも度々糾弾を重ねてきた。だが、それらは、まだほんの一部に過ぎない。『大日蓮』には、戦前・戦中を通じて、多くの戦争礼讃の言葉が踊っている。

 昭和十四年十二月号の『大日蓮』の巻末に、「総本山」の名で宗内に向けて「初詣 でのおすゝめ」という広告が掲載されているが、そこには、
此の新年(昭和十五年)の劈頭!殊に聖戦下の第三春にあたり本宗真俗はまづ以て本門戒壇の御前に拝跪して、御報恩謝徳と皇威宣揚武運長久の至誠を捧げ、その霊化  に浴して希望に輝く新年……へのスタートを踏み出す事は実に肝要であります
と記され、最後は

 事変下の御慶はまづ御戒壇
という「標語」で閉じられている。

 つまり、宗門は、太平洋戦争勃発以前から、満州事変以降の日本の中国侵略の勝利祈願と称し、登山の勧誘をしていたことが判明したのである。この広告は毎年続けられ、 「標語」だけは変わった。昭和十八年の「標語」は、

 戦時下の御慶はまづ御戒壇
であった。いずれにせよ宗門は、世界平和を願うべき一閻浮提総与の大御本尊に海外侵略戦争の成功を祈念させようと、躍起になって宗内を煽っていたのである。これ以上の宗祖、大御本尊への背信行為はないといってよい。

 昭和十五年八月号の『大日蓮』に、宗門僧侶の福重照平氏が書いた論文では、独裁者ヒトラーを「正しく彼は現代の英雄である」と称賛。「吾人茲に到りて法華経の『唯我一人能為救護』の御文を思ひ出す」とまで述べている。貴殿は、ホロコースト等で悪名高い希代の大虐殺者・ヒトラーを法華経の文まで用いて意義付け、賛嘆しているこの論文を、今日、法主としてどう総括するのか。

 また、同年九月号では、柿沼広澄氏が「新体制と宗徒の覚悟」と題し、大聖人の仏法を「全体主義」とネジ曲げる暴論を吐いている。柿沼氏は、「日蓮大聖人は従来の民主主義自由主義個人主義の宗教に対して、教機時国序の五綱批判を以てこれ等に科学的 検討を加へ、如是本末究竟等の所謂全体主義的な立場をとられたのであった」と述べ、最後には「キリスト教は既に合同を期して新体制下の行動を決定せんとしている。仏教徒自身も何等かの形式に於いて合同せずんばなるまい」と宗門と他宗派の合同さえ主張している。
現海外部長の尾林広徳氏は、柿沼氏の直弟子である。尾林氏は、海外檀徒に説法する前に、この師匠の暴言をどう考えるのか、節目の本年にこそ、弟子として釈明すべきであろう。

 太平洋戦争が始まると、『大日蓮』は、ほぼすべてが戦争礼讃の記事で埋め尽くされる。目を引く見出しをざっと拾って見ても、
「心身錬鍛米英撃滅への富士登山」
「決戰精神昂揚布教師講習會」
「米英撃滅必勝信念昂揚の御大會」

などといった行事名が続いたり、

「生活即戦争」(筆者名「法正房」)
「山本元帥と不自借身命」(海軍中佐・清家岳三郎氏)
「防諜に務めよ」(編集部)
「戦力増強に寺院解放」(編集部)
「国民総進軍」(松本諦雄氏)
「八紘為宇の実現」(柿沼広澄氏)

 といった、宗内を戦争に駆り立てる檄文が所狭しと掲載されている。

 昭和十七年の『大日蓮』には「大東亞戰完遂の献納機命名式」と題した記事もある。すなわち、日蓮正宗を含む仏教各派が、八十万四千三百十一円四十銭という当時としては莫大な軍資金を提供し、陸・海両軍に軍用飛行機代を献納したのである。そして、その「献納機命名式」が同年九月二十日、陸軍は所沢飛行場、海軍は東京・小石川後楽園スタジアムにおいて行われ、“お祓い”“祝詞”“玉串奉納”“神符授与”といった神式の法要が行われたことが『大日蓮』誌上に報道されている。
宗門は、その後も『大日蓮』に度重なる「献金並軍機献納費募集」を続け、「栃木信行寺住職檀信徒一同」「土浦教会主管者信徒一同」「栃木蓮行寺住職檀信徒一同」などの献金者の名前が同誌に掲載されている。多額な献金があれば、その団体の名称が飛行機の機体に載せられることもあり、当時の宗門は信徒から多大な献金を募り、軍用機「日蓮正宗号」の実現を目指していたとも伝えられている。

 このような宗門の戦争礼讃の史実は、何を我々に教えているのか。それは、貴殿らが常日頃口にする「宗門七百年の正統性」なるものの正体は、権力の庇護の元に保身を図ってきた宗門の醜い本性を隠す詭弁に過ぎないということである。宗門が戦前・戦中、寿命を長らえて来たのは、大聖人の破邪顕正の精神を貫いて諸天に守られたのではなく、宗祖の御遺命を放棄し、信徒を犠牲にして自身の安寧を選んできたからなのである。

 過去の歴史を総括せずして、真の未来は存在しない。まして信徒に仏法正義を語る資格など毛頭ない。過去に目をつぶる、この宗門の卑劣な体質こそ最も忌むべきものであり、我々は断固糾弾するものである。

 次に、貴殿ら現宗門が忘れてはならないことは、貴殿を含む多くの正宗僧侶が軍人となり、ある者は実際にアジアの各地へ出征し、日本の侵略戦争の先兵となった事実である。 もちろん、徴兵制度の下で強制的に出征させられた者もいよう。しかし、宗門僧侶がアジア侵略のために出征したという「事実」は残る。この大汚点を拭い去るには、アジア諸国への誠実な謝罪以外にないことは明白である。「信徒」の出征ではない。本来、生命を尊ぶべき「僧籍」を持ったまま出征したのだ。謝罪は当然である。

 ましてそれを等閑に付したまま、アジア進出を目論む貴殿ら日顕宗は、いわば過去の侵略行為を肯定したうえで、アジア広布をしようとしているに等しい。貴殿が口先でなく、戦時中の宗門の行為を総括し、反省し、二度と同じ過ちを犯さぬことを誓わぬ限り、貴殿らの海外活動は「宗教による第二の侵略行為」と見なされるに違いない。

 その意味で、ここでは当時、軍人となった正宗僧侶の生の声をあえて赤裸々に公開し、貴殿に確たる歴史の総括を要求するものである。

  • 佐久間慈敬氏
  • 「仏祖の弟子として破邪顕正の剣を取って敵屈服撃砕の信念あるのみです」

  • 落合茂氏(道号不詳)
  • 「大東亜建設の新秩序は彼等同胞(中国人)の宗教心に訴へ皇道帰一を具現するにあり」

  • 舟橋慈正氏
  • 「小兵は相不変北支の大平野にて日夜○○に御奉公申上げ同君や花と散りし法友諸君の勲を汚さざるべく頑張って居ります」

  • 須賀法重氏
  • 「南海の強い太陽に、そして潮風にさらされた小生は黒さも一段と増し益々元気に最前線に張切って居ります」

  • 梶嘉久氏(道号不詳)
  • 「戦闘員非戦闘員を問はず一丸盡忠報国の一目標に邁進せざるを得ない時局を切実に考えずには居られないのです。そして我々も共に銃後の人々に劣らぬ様軍務に邁進せんと決する次第です」

  • 田沼一法氏
  • 「象の一隊が土人と共に我々と行を共にし作戦に協力して呉れる親善風景もありますが何れにしても熱帯の山中は気持ちの良いものではありません。而しその中から大東亜確立の暁が来ると思へば吾等はより一層決死の努力を誓ひ軍務に精進する勇気が湧き出て来ます」

  • 野木鋭氏(道号不詳)
  • 「皇軍の一員として至誠奉公以て聊か微力を盡すの機を得た事は男子の本懐此の事と存候」

 貴殿自身の入隊の折の言葉は冒頭に紹介したごとくであるが、たとえ戦時中の言論統制下とはいえ、仏法者の自覚からはほど遠い言辞の数々といえよう。貴殿らがこうした反仏法の“宗風”を戦後、無反省に受け継いできた事実は重大である。このことは現宗門が今も差別・暴力・信徒蔑視が絶えない反人間主義、独裁主義の世界となっていることと無縁ではあるまい。

[資料]『大日蓮』(昭和十四年十二月号)に掲載された「初詣でのおすゝめ」

[資料]『大日蓮』(昭和十四年十二月号)に掲載された「初詣でのおすゝめ」

 戦後五十年–。

 自らの悲しみと多くの人々の苦しみに対して、さまざまな分野で、これまで以上に率直な、反省の発言もなされている。

 本年六月十日、明治学院の中山弘正学院長は約五百名の学生や卒業生の前で「明治学院の戦争責任・戦後責任」と題して講演している。その内容は、戦争という国家的な犯罪に組み込まれて、戦時中の学院長が靖国神社への参拝などに積極的に取り組んだことを率直に認めたうえで、「朝鮮、中国をはじめ諸外国の人々の前に謝罪します」と大学の戦争責任を表明したものである。さらに中山学院長は「学徒兵として出陣した学生たちのことを思うと、教師として深い悲しみを覚える」「少なくとも敗戦の時点で学院指導者は反省と謝罪をすべきだった」「学生諸君には戦争の愚かさだけでなく、加害的な事実があったことを認識してもらいたい。それがアジアの人たちとの新しい時代を作る礎になる」と話している。

 宗教界でも、これまでにさまざまな発言がされているが、金光教では本年六月に『戦争と平和|戦後五十年を迎えて』という小冊子を刊行した。そのなかで「戦時中本教は、国家存亡の危機であるとして、戦争に協力しました。そのことが、アジアを中心とした他の国々、また、わが国の多くの人々の生命を奪い、人権をおかし、生活の破壊につながったことを、まことに遺憾に思います」という教団としての戦争責任への反省と、「金光教報国会」の結成、海外での戦時活動、軍用機の献納など、教団をあげての積極的な戦争協力の実態を述べ、総括したうえで、当時の一時的な誤りというだけではなく、「その責任は現在の信奉者である我々自身が担わねばならない」としている。

 こうした率直な反省に基づいた人間としての発言こそが、アジアの人々の心を開くことができるのである。もとより、我々青年僧侶改革同盟のこれまでの主張も、民衆の願いを無視し続ける貴殿らへの糾弾であるとともに、私たち一人ひとりの率直な反省・懺悔の心と平和建設への決意の表明でもある。本来、民衆の苦しみ、悲しみに最も敏感でなければならないのが宗教者だからである。

 翻って、貴殿ら宗門は、戦後五十年間、一言も反省の念を表明していない。なぜだろうか。その理由は二つ考えられる。

 一つは、宗門僧侶の封建的な「長いものには巻かれろ」「お上には逆らえない」的体質である。一切の価値観が逆転した終戦直後の混乱期、宗門のとった行動は、ただ調子よく時の権力者に尻尾を振ることだった。

 昭和二十一年四月三十日、大村寿顕教学部長の父・大村寿道氏(当時財務部長)は、宗門を代表して連合国軍の最高指令部へ出頭し、調査を受けた。大村氏は、その折の感想を『宗報』の巻頭言にこう述べている。

 「(指令部の係官の話では)『今回の調査は日本仏教の良さを取り入れると共に仏教家自身が仏教本来の使命に立脚して政治、文化、道義を最も正しく昂揚し、平和新日本の発足を希望せんとする為めの調査に外ならぬ』との事であった。此の外にも種々有益な談話があったが、紙面の都合により割愛するが、私は何よりも『仏教家自身が本来の使命に立脚する』ことの如何に緊要なるかを痛感し敢て之を提言して已まない次第であります」
厚顔無恥とはこのことである。というのも、この大村氏、戦時中は「不自由を忍んで勝たうこの戦さ」「贅沢は言ふな言はすな勝つまでは」などという宗内向けの戦争標語を自ら作るほど、積極的な戦争加担者だったからである。真に「仏教家自身が本来の使命に立脚する」ことを痛感したのなら、まず戦時中の自分の行為に心から慙愧の念があって然るべきである。戦争中は軍部権力に諂い、敗戦後は“GHQのお説ごもっとも”と平身低頭。これで宗門が「法を守った」とは聞いて呆れるではないか。

 大村氏に限らず、この権力依存、無反省の体質こそ、貴殿ら宗門人の正体なのである。かりに時代が変わって権力者が戦争を始めたら、貴殿らはまたすぐ戦争協力に余念なくなることであろう。大聖人は、

 「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」
と、堂々と仰せられた。この御本仏の信念の御姿とは対極にある、人格なき「法師の皮を著たる畜生」が、貴殿らであると言わざるを得ない。

 また、宗門が戦争責任の問題に頬かむりを決め込むもう一つの背景には、貴殿が“法主信仰”を利用して宗内を支配している事情がある。シアトル買春事件、豪遊、度を越した贅沢などが次々に発覚し、本来ならとっくに退座させられているはずの貴殿が今なお猊座に居続けられるのは、“法主は大聖人の代理”とする宗内の法主信仰に支えられているためにすぎない。

 ところが、もし日恭法主が戦時中、侵略戦争を賛嘆し、宗内挙げて積極的に加担した事実を認めればどうなるか。それは、法主が世界的な大量殺戮を扶助したことを意味する。そうであれば、法主信仰という宗内神話は崩壊し、貴殿の最後の砦である「法主の権威」も剥がされることとなる。法主絶対論を宗是とする貴殿にとって、戦争責任への謝罪は一種の自殺行為なのである。ゆえに、貴殿は、戦後五十年も迎える本年も、宗門の戦争責任問題には一切触れないでいるに違いない。

 しかし、貴殿に大聖人門下の根本精神たる「立正安国」の信念があれば、勇気ある謝罪に踏み切れないわけがなかろう。それができずして、アジアに対しての道義的責任は取れない。そんな無責任・無反省な人間が法主に居座り、尊仰の対象であるとさえ言うのなら、もはや仏法とは似て非なる反社会的な「法主教」である。

 「立正安国」の「国」とは一往は日本国であるが、再往は一閻浮提すなわち全世界である。第二十六世日寛上人曰く、

 「文は唯日本及び現世に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」
と。まさに、全世界の安国、恒久平和の樹立こそ、大聖人門下の最第一の使命なのである。その意義から言えば、大聖人の「立正安国」の精神を継承しているのは、一人創価学会だけである。民衆の幸福への行動、平和への行動を一貫して続け、仏法を基調とした平和・文化・教育運動の団体として、世界中から絶大な評価を得ている創価学会こそ、真の大聖人門下の集まりである。そして、その歴史はまさに大聖人の

 「須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」
との御心をわが心とした創価学会歴代会長の平和と民衆の幸福を阻む勢力との徹底した闘争、死身弘法の戦いの歴史であった。

池田SGI会長は、

 「平和は、『人間』が作るものである。ならば、その『人間』を作ることにこそ、平和実現への確かな礎はあろうーーそう思えば思うほど、私は、日本とアジアの人々を『平和の心』で結ぶ、具体的な『行動』の必要性を痛感してならなかった。それが、日本人の一人としての、当然の義務であるとも思った」
と述べている。私たちは、この心情にこそ日蓮大聖人直結の門下の進むべき行動の指標が存すると確信する。

 我々は、悪しき宗教的権威・権力を悪用し、民衆を苦しめ続ける“エセ宗教者”“宗教ファシスト”の貴殿に予告しておく。戦後五十年の本日、もし貴殿の口より明確な謝罪及びアジアの人々への懺悔の言葉がないようなら、貴殿には永久に謝罪の意志なきものと認め、我々は「宗門は日本の侵略戦争を肯定している」と全世界に通告するであろう。

一九九五年八月十五日
青年僧侶改革同盟
日蓮正宗管長 阿部日顕殿