仏事ー常識と非常識 – 塔婆

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<塔婆>

先祖や故人の追善回向という信徒の純粋な真心を、逆手に利用した現在の日蓮正宗宗門の“塔婆商法”。仏教における塔婆の考え方について探ってみます。


板塔婆は仏教本来の教えではない
塔婆とは、インド・中国では仏塔や建造物
 故人のために「板塔婆」を立てて供養するというのは、仏教本来の教えではありません。日本人特有の社会習俗です。

 歴史的には、まずインドに仏塔信仰がありました。経典には、釈尊が入滅して遺骨が8カ所に分けられ、それぞれに塔が建てられたとされています。塔の成立と変遷については、諸説がありますが、やがて、釈尊の遺骨の塔(仏舎利塔)だけでなく経を埋納する経塔などが造られ、一つの信仰のシンボルとして、各地に建つようになったことは間違いありません。

 この仏塔の形が今度は、中国へ渡って、発達した木造建築の影響もあって五重の塔のような楼閣(ろうかく)に変わっていったのです。この場合、むしろ、仏塔信仰というよりも仏教寺院を象徴する建造物として建立されるようになったもので、各地に、五重、三重の塔が建ち並びました。

 この建造物としての仏塔が、さらに、日本においては供養塔としての意味に変質していき、形も変形し小型化していきました。これらはもっぱら、仏塔でも寺院建造物でもなく、先祖の追善に用いられ、墓所に立てられるようになってきたのです。大きさも、建造物をミニチュアにしたところから出発し、最初は石塔でしたが、やがて木を用いるようになって、角塔婆や、さらには、これを略した板塔婆(平塔婆)が用いられていったのです。

 今日の板塔婆は、地水火風空の五大を意味している五輪を形どったものとして、全体が五つにくびれています。これは五輪塔の名残です。したがって歴史的にみても、信仰の対象となる仏塔と、死者のために追善供養として立てる塔婆とは、まったく別のものです。

 日蓮大聖人が御書全集のなかで、広い意味で「塔婆」について言及されているものは八編を数えます。しかし、内容を見れば、まず、仏法上の意義というよりも、インドや日本の習俗として塔婆に言及したものが大半です。例えば、インドで仏塔(ストゥーパ)を破壊した話(「顕謗法抄」)とか、権教を破折するために、大地微塵(みじん)の塔婆(仏塔)を建てても法華経誹謗の罪は消えないと御指南されたり(「善無畏抄」)、率塔婆を建てた過去の故事(「上野殿御返事」)などが説かれています。

大聖人は題目の功徳を強調
 また、「御義口伝」では、塔婆を宝塔の意味に使われています。法華経見宝塔品第十一の「見宝塔」とは「皆自身の塔婆を見るなり」(御書797㌻)とあります。すなわち、ここでは御本尊を受持した者は、わが身が妙法の当体であり宝塔であると悟ることをいわれているのです。この場合の塔婆とは、いうまでもなく、いわゆる板塔婆ではなく仏塔、なかんずく法華経の多宝の塔、つまり宝塔の意味です。

 結局、大聖人が塔婆による死者供養について言及されているのは、「中興入道消息」と「草木成仏口決」の二編だけです。それ以外は死者供養とは関係ありません。このうち、「中興入道消息」では、「去(みまかり)ぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に丈六のそとば(卒堵波)をたてて其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば…………」(御書1334㌻)と仰せです。ここで大聖人は、法界万物に広がる回向(えこう)の功徳の大きさを示されています。この御書で大聖人は「塔婆の功徳」ではなく「題目の功徳」を仰せられ、夫妻の信心を激励されているのです。

 大聖人御在世より少し前の時代には、真言や念仏の聖(ひじり)によって、塔婆による死者供養の風習が急速に普及したようです。そこには当然、真言の五輪の種子(地水火風空を表す梵字)や阿弥陀の名号(南無阿弥陀仏)が書かれていました。そのなかで、中興入道が念仏の題目ではなく法華経の題目を顕されたことを大聖人はほめられ、題目の功徳を説かれたのです。ですから大聖人は、この御書の末尾に「此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ」(御書1335㌻)と仰せられているのです。したがって、この御書は、“塔婆を立てなさい”と、他宗に基づく風習自体を奨励されているわけではありません。しかも、中興入道の場合、塔婆を立てたのは、入道自身、つまり在宅の信徒の側であって僧侶ではありません。まして、現宗門が主張していることに合わせれば、いわば信徒が僧侶抜きに勝手に立てた塔婆を大聖人がほめられたことになります。

 また「草木成仏口決」では、大聖人は「有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり、その故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(御書1338㌻)と一念三千・草木成仏の原理を説かれるなかで塔婆供養について述べられています。つまり、一念三千の成仏は有情・非情にわたるのであり、ここでは非情の成仏として草木成仏を取り上げられているのです。そして、この草木成仏について説明する譬えとして元天台僧の最蓮房にわかりやすく、当時他宗によって普及していた塔婆供養を取り上げたものとうかがえます。

 「観心本尊抄」で他宗の本尊の事例を挙げて、それらも一念三千・草木成仏の原理がなければ成り立たないとされているのと同じです。「観心本尊抄」の他宗の本尊も、「草木成仏口決」の塔婆供養も破折の対象として挙げられているのです。この二つの御書では、その一念三千の当体である御本尊の意義を明かされることに大聖人の御本意があるのです。そのことは、「草木成仏口決」の結論として「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅(まんだら)なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(御書1339㌻)と仰せられていることからも明らかです。したがって、「草木成仏口決」の一節も、あくまで譬えであり、塔婆を立てなければ成仏できないと仰せられているわけではありません。

 結局、大聖人は信徒に“塔婆を立てなさい”とは記されていません。事実、御書には信徒が塔婆供養をした例は中興入道しかありません。四条金吾や富木常忍、池上兄弟、南条時光にも勧められていません。まして、大聖人御自身、亡き師・道善房のために塔婆供養をされることなどありませんでした。要するに、“塔婆は故人の追善供養のために不可欠”とする現在の宗門の論理では、大聖人の主要門下の肉親は成仏しなかったことになります。

 以上のように、塔婆供養とは、あくまでも大聖人の仏法の本質などではなく、現在の日本の社会習俗にすぎないのです。

「乃至法界平等利益」の意義とは
 現在、日本で用いられている一般の塔婆には、三悪道に堕(お)ちてしまった死者を追善供養によって救済するという内容の言葉が梵字などで記されているのが普通です。日蓮正宗の塔婆では表側に「追善供養菩提也」と裏側に「乃至法界平等利益」と記されています。しかし、これらの言葉は宗門だけが使っている言葉ではありません。「追善供養菩提也」などは日蓮宗身延派の塔婆にも書いてあるし、「乃至法界平等利益」は真言宗や浄土宗の塔婆で用いられています。

 普通、仏教各派で用いられている「乃至法界平等利益」の意味は、いわゆる“タタリ封じ”です。「乃至法界平等利益」の「法界」とは森羅万象という意味ではなく、「法界霊」つまり浮かばれない「無縁霊」のことを意味する言葉です。日本人は長い間、供養してもらう人のいない「法界霊」は、生きたわれわれに災いをもたらすと考えていました。そこで、昔から「法界霊」を慰めるために塔婆を建立する習わしが日本の各地にあったのです。

 この場合の無縁霊を意味する「法界」という言葉は、古来、無縁霊をホウカイ、迎え火をホウカイ火、供物をホウカイサンノメシ(「法界さんの飯」の意)などといっていたものが、仏教用語の「法界」と重なったところから使われるようになったという説があります。いずれにせよ、法界衆生というと、無縁仏、無縁霊を指していたことは明白です。このように、今日、「乃至法界平等利益」という言葉は、現実の仏教の各宗派の塔婆にも記されており、日本独特の“タタリ信仰”の名残がある言葉であることは否めないのです。

 要するに、塔婆の形といい、文面といい、結局は、習俗の産物なのです。したがって、現在の日蓮正宗のいう、塔婆供養をしなければ故人が成仏しないなどというのは、詮ずるところ外道(げどう)の大邪説です。

(日蓮正宗青年僧侶改革同盟『仏事―常識と非常識』《潮出版社》より)

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