新改革通信 第161号 令和3年9月7日 宗教改革の闘争・学会の「御書」発刊(2)

新改革通信 第161号 令和3年9月7日

戦時中に御書を削除し、信心の血脈を断絶させた宗門


檀家制度で骨抜きにされた仏教界は
権威に抵抗できない体質に
江戸時代に幕府は「檀家制度(寺請制度)」を作り、寺院を通して人々を管理した。檀家になると、自分の所属する寺院に布施を収め、葬式や法要の一切を執り行ってもらう。寺院は、経済的基盤が整うが、事実上幕府の出先機関の役所と化し、本来の布教活動がおろそかになった。その結果、寺院は政府に抵抗できない体質になってしまったのだ。


御文の14箇所の削除と法話や講演で
引用しないことを徹底した宗門
昭和13年に文部省は、皇室の尊厳を害する教義や日本の神を軽視する教義の是正を日蓮宗に求めた。昭和16年6月に日蓮宗諸派の合意で重要遺文70余編中より208個所の削除方針を決定し文部省に上申。しかし、文部省はこれを不充分として更なる検討を命じた。その結果、日蓮宗は霊艮閣版『日蓮聖人御遺文』を絶版・販売禁止にし、不敬文字を削除した御遺文集の発刊を計画した。
この日蓮宗の動きに歩調を合わせて、同年8月20日、日恭法主をはじめ長老たちが集まって開かれた「上老会議」で「神札の受容」「大聖人御遺文の削除」「今後の御書の刊行禁止」「観念文の改変」「本地垂迹説の使用禁止」等が決定された。
さらに宗門は同年9月29日に「宗務院教学部長」名で、当時、宗内で使われていた「祖文纂要(日霑法主編)」の要文から、「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」などの14箇所の削除を命じ、法話や講演で引用しないことを徹底した。


「立正安国」の精神・信心の血脈を
守ったのは牧口先生と戸田先生
 このような流れの中で、宗門は軍部からの圧力を恐れ、昭和18年6月に牧口先生、戸田先生(当時は理事長)らを本山に呼び出し、「学会も一応、神札を受け取るようにしてはどうか」と申し渡した。しかし、牧口先生は「神札は絶対に受けません」と拒絶された。この時に牧口先生は「私が嘆くのは、一宗が滅びることではなく、一国が滅びることなのだ」と言われた。国家神道が人間を隷属させようとしていた。その悪しき権力との闘いであった。
 翌7月6日、牧口会長は折伏に訪れていた伊豆・下田で逮捕され、戸田先生も東京で逮捕。容疑はいずれも治安維持法違反と不敬罪であった。宗門は累を恐れて牧口先生と戸田先生を登山停止に下した。
宗門が放棄した「立正安国」の精神を守ったのは、牧口先生と戸田先生であることあらためて述べておく。宗門はこの時に信心の血脈を断絶させたのだ。(続く)

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