新改革通信 特集「C作戦」検証(14) 令和8年8月31日 総講頭罷免の理由の後付けのため、宗門史を改ざんした日顕(下)
総講頭罷免の理由の後付けのため、宗門史を改ざんした日顕(下)
ここまで検証してきたように、日顕の〝正本堂説法〟は、歴史を歪曲して罪なき名誉会長を讒言で陥れようとした悪辣な捏造説法であった。しかし、日顕は過ちが明確になった後も、学会に謝罪することもなく、さらに、ためにする言い訳を繰り返し、宗門史の改ざんに奔走する。
●日蓮門下が「大聖人の御遺命の達成」を目指すのは当たり前
日顕は平成3年3月9日付の学会の質問に対する回答の文書の中で、自説に執着し、重ねて
「当時明らかに池田氏をはじめとする学会側に『大聖人の御遺命の達成』という意識があった」「そのような意識の中から、池田名誉会長の慢心が強まり・・・」
などと述べている。根拠が崩れている以上、何を語っても引かれ者の小唄の類いだが、〝法主の公式発言〟である以上、その責任は大きい。昭和40年代初頭、創価学会による広布拡大への熱誠が、平成2年の暮れに総講頭を罷免した理由になるというのである。あまりの支離滅裂ぶりに、当時、全国の末寺住職たちが前途に不安を感じた心配げな姿は今なお鮮やかに蘇る。
宗門史に未曽有の広宣流布の大潮流は、創価学会の三代会長の覚悟の法戦から始まる。その姿をまた、歴代の法主も称賛し頼みにもされた。〝広宣流布を願うことが慢心〟ならば、帰するところ、創価学会による広宣流布を〝制止しなかった〟法主たちの責任問題となるのではないか。否、むしろ、僧俗和合の宗門史全体を否定して黒く塗りつぶしたい、それこそが日顕の底意なのだ。日顕は当座以来、〝祖道の恢復〟を唱えていたが、檀徒制度の名残である僧俗差別時代に回帰したいという日顕の邪な願いが全ての出発点にあることが浮き彫りになった。
●創価学会主導の広宣流布実現を称賛されていた歴代法主
いうまでもなく歴代法主は、学会による正法興隆、広宣流布を願っておられた。
第59世日亨法主は、昭和28年11月22日の創価学会第9回総会で
「今こそ皆さんが地涌の菩薩として富士の戒壇建立、広宣流布完成に、あらゆる努力を注ぐのは当然である」
と、まさしく「富士の戒壇建立」を目指して学会が前進してほしいと称えられている。学会なくば広宣流布はできない。「現在の宗門で、学会以外に、取るものがあるかね。学会を排除する宗門は、忌むべきである」と常々語られていた日亨法主ならではのことである。
第64世日昇法主もまた、学会本部常住の御本尊や関西本部の常住御本尊を「お認めすることは、私は実に何たる幸福で、人生の幸福、大満足に感謝にたえません。涙をもって三宝にお礼を申し上げるとともに、皆さまにも感激の涙をもってお礼申し上げる」(昭和30年12月)とまで語り、学会の総会(昭和30年11月)では
「近時、創価学会の飛躍的発展を妬み、種々なる中傷や逆宣伝をなし、本宗の純正なる信仰を惑乱せんとする者がありますが、諸士には、これらの邪義暴論を顧慮することなく、敢然起って法戦を挑み、いよいよ不自惜身命の実効をあげ、本宗の教風を国内全土に宣揚し、広宣流布の一日も速からんことを念願するとともに、不肖日昇も等しく諸士と同心戮力(りくりょく)を惜しまず、死身弘法以て、仏祖の鴻恩に応えんとするものであります」
と、76歳の法主自ら〝学会に力を合わせて大聖人の大恩に応えん〟とまで宣言された。
第65世日淳法主は、「広宣流布の為の大折伏は学会の皆様へ御願い申します」(昭和27年12月)と述べられ、昭和31年12月の学会青年部の会合では
「日蓮正宗は単なる一宗旨であるばかりでなく一切衆生の宗旨であり、この日蓮正宗を背負って立ち上がって行かんとするのが戸田会長先生でありまする」
と、どこまでも日蓮大聖人の正法正義は一切衆生のための宗旨であり、それを担って立つのは宗門ではなく、〝日蓮正宗を背負って立ち上がっているのが学会〟であると大絶賛されている。
昭和43年1月、日達法主は「大白蓮華」に寄せた一文で
「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」
と正本堂の完成はまさに「大聖人の御遺命の達成」であると明確に宣言されているのだ。
「餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る」(曽谷入道殿御返事)である。日顕は、歴代法主と歴代会長が和合して三大秘法の広宣流布に励む姿を「慢心」と見る。六根不浄の果報と言わざるを得ない。とりわけ正本堂は万事、日淳法主・日達法主の指南を受けて、戸田会長・池田会長の師弟が実現した賜である。日昇法主・日淳法主・日達法主の法華弘通の相承の系譜と日顕の血脈とは全く無縁であることを自白したに等しい所業である。
●日顕の正本堂に関する2つの大罪
日顕は池田名誉会長の慢心を捏造するために、日達法主の正本堂の意義に関する指南と、かつての自分の発言までも否定し、宗祖の御遺命達成を目指した宗門の歴史まで変えようとした。
その日顕の大罪は、次の2点で社会的にみても道義に背いたものというしかない。
①「本門戒壇の戒壇堂」と意義付けして集められた約355億円の信徒の浄財によって立てられた正本堂を、その意義を改変して、特別な意味など全くない建物にしようとした。
②平成10年に約50億円の費用をかけて解体し、800万人信徒の赤誠を踏みにじった。
日顕の平成3年1月(教師指導会)及び3月(回答文書)の正本堂に関する話には、正本堂建立を願って浄財を供養した800万信徒に対する顧慮の痕跡が皆無である。もとより、800万に及ぶ信徒――大半が学会員としても法華講や寺族も含まれる――の人たちが、いかなる赤誠から、いかなる思いで供養を行い、その結晶として正本堂が建立され、大聖人の遺命たる本門の戒壇の実現へ皆の願いが結集したか。ほんの一端でもその思いが脳裏をかすめたら、800万人に無断で意義を改変し、一人一人に対して何のことわりもなく破壊するなどとは社会通念、人間的道義のうえからもありえない。〝目的を提示して供養を集めて、後に、その目的そのものが誤りであったから謝罪せよ、間違いだったから破壊した〟などということが一宗教者、いや一人の人間として通用するかどうか。どこまもで門下を大切にされた日蓮大聖人の世界とは全く真逆の出来事である。
権力者やテロリストが弾圧のために寺院を破壊することはあっても、宗教者が自宗の寺院を自分の都合で破壊することは極めて稀である。〝謗法だから〟というなら、全国の学会建立寺院もすべて破壊すべきである。結局、日達法主と池田名誉会長に対する嫉妬以外の何物でもない。日顕は正本堂の解体の様子を自分の部屋のテレビモニターに写し、毎日、嬉々として広宣流布のために建てられた大殿堂が壊れていくのを見ていたという。これこそ天魔の姿である。
日顕は宗史の改ざんと引き換えに、宗門の広布の歴史も、社会的信用も、すべてを破壊した。結果として、「800万信徒の赤誠を否定した法主」という汚名を永遠に残したのだ。(続く)