新・改革通信 99号 (2009.04.28)「僧俗差別」を説く日顕らは、大聖人を迫害した者たちと同じ立場にある。”民主化”という時代の波に逆行  する、法主独裁の宗門は、前世紀の遺物でしかない

 建長五年(一二五三年)四月二十八日、日蓮大聖人は清澄寺で、南無妙法蓮華経こそ、末法の民衆を救済する
 唯一の正法であると宣言された。

 しかし、念仏を厳しく批判した大聖人に対し、念仏の強信者であった地頭・東条景信は激しく憤り、大聖人
 の身に危害を加えようとした。

 すなわち、立宗は長く続く迫害の幕開けとなったのである。

今の宗門は大聖人を迫害した側と同じ
 大聖人が戦った相手は、衣の権威で民衆の自由を奪っていた僧侶たちであった。彼らは僧俗差別を説いて民
 衆の地位を貶めていた。

 どんな人にも最高の生命境涯である仏界がある。しかし、当時の僧侶たちは、誤った教えと僧俗差別によっ
 て、その仏性を封じ込めたのだ。

 今の宗門も同じである。彼らは”成仏にも差別がある”という。すなわち僧侶の成仏と信徒の成仏とは違うと
 いうのだ。それは、信徒は、どんなに努力をしても僧侶を超えることができないという意味である。

 彼らにとって差別は自分の立場を守るための装置である。しかし僧俗差別を説くということは、宗門は宇宙
 大の生命境涯である仏界に差別を設けただけでなく、仏界を矮小化するという、反仏法の教えを説くことに
 なるのだ。

宗門事件は試金石だった
 宗門事件というのは、宗門が僧俗平等の大聖人の教えを受け継ぐのか、それとも檀家制度の弊害でもある僧
 俗差別の道を選ぶのか、その選択を迫られた試金石だったとも言える。

 もし、宗門が衣の権威・出家の慢心を打ち破ることができていれば、宗門は、僧俗平等を貫く、真の日蓮門
 下の僧侶集団として、生まれ変わっていたかもしれない。

 しかし、日顕にはそれができなかった。「目通りかなわぬ身」という言葉に象徴されているように、出家の
 慢心に取り憑かれた日顕は、独裁者の道を選んだ。

 そして、他の宗門僧侶たちも日顕につき従い、カトリック教会が自分たちの立場を守るために、地動説を唱
 えたガリレオたちを迫害したように、宗門をあげて、池田名誉会長を非難し、僧俗平等を唱える創価学会を
 異端として、破門した。

「下からの近代化」「民主化」に逆行する宗門
 第二次世界大戦後、世界はあらゆる分野で「下からの近代化」が進んでいる。

 日本の各宗派も、この数十年で教団の体制の民主化を進めている。具体的には、教義の裁定権を持つ「法主」
 と、宗内行政のトップである「管長」を分離している。また、宗議会の独自性が保証されているところも多い。

 しかし、宗門の場合、法主が管長を兼ね、宗門における全権力を持っている。

 また、日達法主の時代までは宗会が法主の辞職勧告を決議することもできた。現に、大正十四年十一月二十
 日、宗会は五十八世日柱法主の不信任案を成立させ、辞職勧告を決議している。

 ところが日顕は宗制宗規を変更し、宗会を無力化してしまった。今や、悪法主が出現しても、宗門には自浄
 する手立てがない。

絶対的権力は絶対的に腐敗する
 歴史学者J・E・アクトンは次のような名言を残している。

 権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する。

 すなわち、専制的な権力を握った者は、すべてが自分の思いのままになるものと錯覚して、必ず腐敗するが、
 それを止めることはできないということだ。

 多くの先進国は、このアクトンの法則を防ぐために「三権分立」という政治制度をつくりあげた。

 一切の権力を手中に収めた日顕は、この法則の通り、宗内には綱紀自粛を徹底させ、その裏で自分だけは豪
 遊を繰り返し、腐敗の姿を晒した。そして、末寺が経済苦で喘いでいる中、女房の政子と娘の百合子が高級
 マンションを所有していることも発覚した。阿部ファミリーだけが栄華をきわめていたと言っても過言では
 ない。

 今の宗門は前世紀の遺物である。僧侶主導で広宣流布をしょうという発想自体がナンセンスである。

 日淳法主は既に大正十二年『講中制度について』と題する論文の中で、次のように述べている。

 当門の如く講頭或は役員に対して教師とせず、単に世話人の意味にのみ解して居ては充分活動してゆくこと
 ができません。従て目醒(めざ)ましい発展を来たすことはできないのであります。(日淳上人全集)

 日淳法主は、僧侶主導の布教の限界を指摘し、現代の大衆社会において広宣流布を進展させるには、”信徒
 に「教師」の資格を与えよ”と言われているのだ。信徒も僧侶と同じ資格も僧侶と同じ資格を持って布教をリ
 ードするという、今の宗門の僧俗関係を根本から変革する提案である。

 この日淳法主の願いは、創価学会の出現によって実現された。三代会長の不惜身命の戦いは、僧分を超越し、
 未来の広布の道を開いたのだ。
(編集部)

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