新・改革通信 NO.24 (2005.11.19)盗座日顕、遂に逃座!負け犬・日顕の哀れな末路(3)

「大嘘つき」者に頭を下げて認めてもらった
「相承」とは何か?

まず、山崎と日顕の関係を簡単に見てみる。昭和五十四年九月、日顕は山崎に面と向かって、「あなたは大嘘つきで ある」と言った。山崎は頭に血が上り、当時、行動を共にしていた浜中 和道に「ともかく俺は、あの野郎のきのう言ったことを絶対に死ぬまで 忘れないよ。あの野郎を必ずブチ殺してやるよ。絶対に仕返しするよ。 今に見ていろってんだ」(『浜中和道回想録』)と怒りをぶちまけた。

そこから、山崎の日顕攻撃が始まった。

ところが、日顕は「C作戦」を実行にあたり、山崎に助けを求めた。当 時、海外部書記だった福田を通して「あの時はウソつきと言って悪かっ た。かんべんして下さい」と詫びをいれたのである。

その結果、山崎は日顕の相承を認めることにしたのだ。山崎はそのこと を平成三年二月二十二日に浜中に話している、

「これは和道さんだから言うけどね。実はね、僕は阿部さんの血脈相承 を認めちゃったんだよ(中略) 阿部さんは素直に『俺が悪かった。池田に騙されていた』って、僕に謝 って、『正信会に悪いことをした』って言ってきたんですよ。 だから僕も阿部さんを許す気になったんですよ。そしたらね、阿部さん から、『頼むから、俺に血脈相承があったってことを認めてくれ』って 言ってきたんだよ」
私は口をはさんだ。
「だって阿部さんに相承がないのは事実じゃない」
山崎氏は手を振りながら言葉を続けた。
「それはそうかも知れないけどさ。相承があってもなくっても、もう猊 下としての既成事実が出来上がってるんだから、しょうがないじゃない」 (『浜中和道回想録』)

この話からすると、日顕は山崎に「頼むから、俺に血脈相承があったっ てことを認めてくれ」と頭を下げたことになる。そして、山崎は日顕に 相承がなかったことを知りながら、学会攻撃の戦略の一環として日顕に 相承があったと認めたことになるのだ。

かつて自分の相承を否定していた相手に頭を下げて認めてもらった「相 承」とは一体、何なのであろうか。所詮、狐と狸の化かし合いの材料で しかない。「かつはむざん(無慚)」「かつはきくかい(奇怪)」な相 承である。(続く)

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