新・改革通信 NO.31 (2005.12.02)総監の早瀬が学頭に就任

問題は相承箱。新しく作れば、一宗一派の立ち上げ!
十二月一日付けで総監の早瀬が学頭に就任した。相承の証明が何もない、〃相承儀式コンプレックス〃の日顕らしいやり方だ。 おそらく日顕は富士年表を何度も読み返し、歴代法主の相承の次第を見て、ため息をついていたに違いない。自分には相承すべきものが何もないのだから。たとえば、五十七世日正法主の場合は
明治四十一年八月五日 四十代大学頭となる
同年 十月二十九日 管長となる
同年  十一月四日 大坊に入る
同年  十一月十日 日応 法を日正に付す
明治四十二年四月四日~十日 代替法要

五十八世日柱法主の場合は
大正三年 十月三日 四十一代大学頭となる
大正十二年八月十二日 日正 法を日柱に付す
同年  八月二十日 大坊に入る
同年 八月二十二日 管長となる
大正十三年四月十五日 代替法要

日顕はこのような次第を経て法主になったわけではない。まるで学級委員か何かのように、自ら名乗りをあげて猊座に居座ったのである。その日顕が如何なる次第を経て次期法主を選出するのか、我々は注目していた。 正式な手順を踏んで登座したわけではない日顕には〃相承儀式コンプレックス〃がある。おそらく、日顕は次期法主に猊座を譲るために、それなりの形を整えるであろうというのが大方の予想だった。

早瀬は蓮蔵坊に入り、のちに日顕が能化会議を開いて、早瀬の管長就任を承認させるのだろう。

しかし、大きな問題が残っている。相承箱の問題だ。日顕の手元に相承箱がないことははっきりしている。新しい箱を作ってゴマカスのか。そんなことをすれば、「日顕宗」という名実共に一宗一派の旗揚げを天下に宣言することになる。

もし、相承を装った後で本物の相承箱がどこからか、出て来たら、日顕らはどうするのか。日柱法主の時のように、宗内が二つに分かれて、信徒を巻き込んで争うことになるのか。 何度も言うように、どんなに形を取り繕っても盗座法主が誰に相承しても所詮は盗座二世でしかない。なによりも、早瀬の相承儀式を整えれば整えるほど、相承儀式のなかった日顕が正式な相承を受けていないことが浮き彫りになることを忠告しておく。(編集部)

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