新・改革通信 51 (2006.04.04) 盛んに自己アピールをする、見苦しい日顕の哀れな姿

「座替法要」が済めば、所詮、日顕はただの”お払い箱”
法華講の春季総登山が三月二十五、二十六日の両日にわたって行われた。初日は午後一時の御開扉のあとに大書院で講頭会が開かれた。その席で早瀬日如と宗務院の役僧らは、約二時間にもわたって「地涌倍増」を訴えたが、誰もが無理とわかっている。実際に「地涌倍増」どころか、今年は昨年より登山者が減少しているのだ。そのせいで、昨年は八回行われた御開扉は、今年は七回に削られ、参加者は千人以上、減っている。

日顕は隠居の身なのだから、世田谷でおとなしく政子と茶でも啜っていればいいものを、傲慢な態度で信徒に”ワシのことを忘れるな”とでも言いたいのか、それとも早瀬に圧力をかけるためか、一連の会合に偉そうに、顔を出している。

今、日顕が一番恐れていることは、隠居した日顕を信徒が忘れ去ることだ。だから、日顕は必要以上に、本山に現れて盛んに自己の存在をアピールしている。何とも見苦しい、断末魔の姿かと早瀬一派の住職たちは、嘲笑っているに違いない。

四月六日から「座替法要」が行われる。それが済めば、実質的に早瀬日如が日顕宗のトップとなり、すべての実権を握る。日顕自らが作り上げた「法主信仰」により、隠居した日顕は威光を失い、過去の遺物と化すのだ。

例えば、宗門が作成した「御生骨」の説明文にはこうある。

「日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊様、唯授一人の血脈相承と宗宝の一切を日如上人猊下が御継承あそばされたことを披露し、一切衆生成仏の大白法が御法主日如上人猊下のもとに在しますことを宗の内外に宣せられる」

この宗門の公式見解によると、「一切を日如上人猊下が御継承あそばされた」のだから、日顕にはもう何もないということになる。すなわち、お払い箱だ。

悩乱船長の日顕に舵を取られ、宗門は氷山に激突したタイタニック号のように沈み始めている。早瀬日如は沈没することが分かりきっている日顕宗を押し付けられただけでなく、早瀬家が守って来た法道院も奪われた。その恨みを早瀬日如が忘れるはずがない。果たして、早瀬一派は今後、どうするつもりなのか、見物である。

それにしても哀れなのは法華講員だ。船が沈み始めているのに、”この船に乗っていれば成仏するかと騙されているのだ。しかも、日顕らは信徒から供養を取るだけ取って犠牲にしてでも、自分たちだけは助かろうとしている。その罪は堕地獄必定である。(編集部)

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