新・改革通信 NO.64 (2006.12.27) 時が経てば経つほど、鮮明になる日顕の「謀略」

すべては日顕の「嫉妬」と「嘘」から始まった
 十六年前の平成二年十二月十六日、宗門は「お尋ね」文書を創価学会に送付した。しかし、この「お尋ね」文書は池田名誉会長の発言の改ざんや、不確かな伝聞、憶測に基づくもので、およそ公式文書といえるものではなかった。そして、平成二年の暮れも押し詰まった十二月二十七日、宗門は臨時宗会を開いた結果として、突然、池田名誉会長の法華講総講頭の資格喪失の通知書を学会本部宛に送りつけた。

 この池田名誉会長の総講頭解任は、表向きは、単に日蓮正宗の規則である「宗規」改正にともなう措置として発表された。宗門はマスコミにも「解任でも処分でもない」とコメントしていた。これは日顕の指示である。

 現法主の早瀬は当時、庶務部長で大願寺の住職であったが、在勤者に「池田名誉会長の総講頭解任は処分じゃないからな。必ず、そう説明するんだ」と徹底していた、

 ところが、その十日後の一月六日に本山で行われた教師指導会で日顕は、学会が「お尋ね」に対する回答をせずに九項目の質問をして来たことに触れ、「このような形は、全く反省の色もなければ、誠意もないという上から、かねての懸案の法華講本部役員の問題に関する『宗規』の改正に踏み切ったのであります」と述べている。”信徒が僧侶に質問することなど不遜である”などという時代錯誤の発想にも呆れるが、もともと、文書のお尋ねの内容そのものが、間違いだらけで、あとから何カ所も訂正するというお粗末な代物であった。

 この翌日の本山の従業員の勤行会でも日顕は「信仰の念がほとんど認められない姿で宗門に対してはっきりと反抗してくる、文書を送りつけてくるというような形が、現総講頭、現大講頭の姿の中にありましたので、やむをえずここで緊急の宗会を招集し」と、総講頭解任は明らかに学会に対する制裁であると述べている。

 このように、日顕は池田名誉会長に対する嫉妬の怨念を隠すために、信徒だけではなく、マスコミを通して社会をも欺いていたのである。第二次宗門事件はこの日顕の謀略の大嘘から始まったのだ。

 日顕がわざわざ年末を狙って、池田名誉会長の総講頭解任を発表したことにも理由がある。日顕は聖教新聞が休刊になる時期を選んだのである。

 平成二年七月十八日に行われた「C作戦」を練る「御前会議」で河辺が「学会と戦うということは、日刊の聖教新聞を相手に戦うということです。綱紀問題のキャンペーンを毎日やられたら、ひとたまりもありません」と述べている。

 しかし、年末であれば、聖教新聞が休刊になり、学会の対応が遅れるはずだと日顕は考えたのだ。『法華経勧持品』に「悪世の中の比丘は邪智にして」とある。まさに、日顕は邪智を振り絞って学会切り崩しの謀略を練っていたのである。
 
 しかし、還著於本人である。時間が経てば経つほど、日顕の謀略の輪郭が鮮明になっていく。当時には分からなかったことが、離脱した住職たちの様々な証言でも明らかになった。

 平成三年十一月二日、同盟の岡崎住職が日顕に目通りした。そこで日顕は、右手の拳骨を岡崎住職の顔の前に突き出し、「いいか!これが池田だ!」と言い、次に左手の拳骨を右手の握り拳の下につけて、「これがワシだ!」と言った。そして、「今、こういう状態になっているんだ!これでいいのか!池田が上でワシが下だ!これが許されるのか!」と感情を露にして怒鳴り声をあげた。日顕の嫉妬の感情を端的に表している明確な証言である。

 「池田が上でワシが下だ!」¦¦これが、嫉妬に狂った日顕が「C作戦」を実行した動機なのである。
 
 この日顕の感情はそれこそ”僭聖増上慢の正体”である。これは単に信徒を見下すということではない。『法華経勧持品第十三』に「人間を軽賤する者」とあるように、その傲慢は一切衆生を軽賤する、諸悪の根源である。だから、日顕宗との戦いは「人間を軽賤する慢心」との戦いなのである。

 そういう意味では、聖教新聞の座談会の記事もこの傲慢を破折するものである。あの座談会の記事を読んで、日顕らは憤っているが、彼らが憤慨しているのは記事の内容だけではない。もちろん、そこに書かれている、自分たちがひた隠しにしていた悪事を暴かれることにも恐れを抱いているが、それよりも彼らが許せないのは、在家が対等に自分たちのことを話題にしていることだ。その感情は信徒の方々には理解しがたいものであろう。記事の中に出てくる「(大笑い)」という文字に、彼らは「信徒の分際で!」とその慢心の姿を現すのだ。

 ”信徒が僧侶に対等に口をきいてはならない。ましてや、僧侶のあり方を論じることなど絶対に許されない”という、日顕らの屈折した僧俗差別の感情は、たとえ誰であろうと相手を一人の人間として尊重しようとする純粋な学会の会員に対する冒涜である。だからこそ、この”出家の傲慢”を笑い飛ばすことこそが、日顕らに対する何よりの破折なのである。また、そのことが同時に宗教的権威に弱い日本的風土の改革にもつながるということを、あえて付記させていただく。

 日顕の存在自体が嘘で成り立っている。”内々に相承を受けた”という嘘によって、そして、勝手に自分で日号を変えて、六十七世日顕が誕生した。現法主の早瀬の立場もこの日顕の嘘だけが頼りだ。もし、この嘘が暴かれた時に何が起こるか。もし、相承箱が日顕以外の者の手元にあることが証明されれば、どうなるのか。日蓮正宗は根底から崩れてしまう。早瀬はただ、そのことだけを恐れているに違いない。(編集部)

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