新・改革通信 NO.67 (2007.03.16) 燦然と輝く、創価の師弟の世界広布の歴史。日顕宗門は無用の長物と化し、日顕の名前は名実ともに広布の歴史から消えていく!

あの昭和三十三年に行われた「三・一六、広宣流布の式典」から、今年で四十九年目になる。
その戸田会長と池田会長の師弟不二の戦いにより、今や、世界のありとあらゆる地で広宣流布が進み、功徳の花が爛漫と咲き誇っている。宗門は「開眼していない本尊に功徳がない」などと未だに子供でも信じない幼稚な迷信を振り回しているが、この世界広布の実証が、創価学会の信仰こそが本物であることと、日顕宗門はすでに無用の長物と化していることを見事に証明している。


丸裸だった宗門を復興させた創価学会
この世界広布の姿は、戦後の宗門の状況を思い起こせば、まさに奇跡である。
昭和二十二年十月十九日、東京・神田の教育会館で創価学会の第二回総会が行われた。その総会に出席した六十四世日昇法主が次のように述べている。
「すでに、皆様もご承知のとおり、一昨年は総本山未曽有の災難に遭遇し、これが復興の大業に迫られつつある折りから、今回はさらに農地法の実施にともない、過去数百年築きあげた総本山の田畠等は、ことごとく皆その対称として、買収せられることとなり、いまや、文字どおり丸裸とならざるをえない状態に直面いたしました」
当時の宗門の荒廃ぶりが赤裸々に語られている。まさに「丸裸」の宗門を復興させたのが創価学会である。この恩を仇で返したのが日顕らであり、畜生にも劣る許しがたい行為である。


牧口会長の獄死と日恭法主の焼死
日昇法主が「一昨年は総本山未曽有の災難に遭遇し」と述べているのは、昭和二十年六月十七日の本山の客殿を中心とする火災で日恭法主が焼死した事件である。
日恭法主が焼死した昭和二十年六月十七日は、第二次世界大戦が終焉に向かっていた時である。その後、七月三日には戸田第二代会長が出獄し、八月十五日に終戦となった。
出獄した戸田会長は獄死された牧口会長の遺志を受け継ぎ、その死身弘法の戦いによって、日蓮大聖人の仏法は日本中に弘まった。そして、また、戸田会長の跡を継いだ池田三代会長により世界広宣流布が始まった。
つまり、第二次世界大戦は、世界史の転換期でもあったが、それは、末法広宣流布の始まりでもあったのだ。
そこには、国家権力と戦った牧口会長の獄死と、国家権力を恐れて神札を受けた宗門の最高責任者であった日恭法主の焼死という、対極をなす事件があった。
そして、戦後五十年を過ぎ、「死身弘法」で大聖人の仏法を護った創価学会は世界に一千万を超える会員を擁する一大平和勢力となった。それに比して、信仰を捨てて保身に走った宗門はどうか。戦後の宗門と今の宗門では、実質的にさほど変わっていない。日顕宗は自分たちも海外に布教していると言っているが、海外信徒のほとんどは脱会者であり、いわゆる「檀徒泥棒」として日顕らが掠め取っただけである。


歴史の真実に打ち砕かれる宗門の迷信
先に述べた創価学会の第二回総会に出席した、当時、隠尊されていた堀日享法主は挨拶の中で、松尾芭蕉の俳諧運動を紹介している。芭蕉は、一五歳のころ俳諧をこころざし、二一歳のころ点者(宗匠)となった。三〇歳を中心に、談林派の代表的な俳人として、古風(貞門)打倒の運動の先頭に立って活躍した。芭蕉は先駆者として目的を達成し、以来二百年にわたる正統派の俳道を樹立している。
堀日享法主は、その史実を通して「しかるに、わが宗門は、宗祖大聖人より七百年を経過し、いっこうに弘まらず、したがって宗門もふるわない」と歎かれた。隠居しながら、権力に未練を持って本山をウロウロする日顕とは違い、堀日享法主は学会の総会で歴史の真実に触れ、創価学会に希望を託していた。

歴史が語る真実は、極めて明快である。創価学会がなければ、今の本山もないし、世界広布もできなかったということだ。その歴史に対して、「本尊の開眼云々」と迷信を吐く者は、まさに「螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし」(御書全集九六一頁)で、単なる馬鹿者としか言い様がない。
前号でも述べた通り、宗門の説く迷信は一部の無知な信徒を騙すことができたとしても、自立した信仰を貫く創価学会員には通用しないし、そのような迷信など歴史に残っている真実に簡単に打ち砕かれてしまう。

どんどん消え去る日顕書写の本尊
創価学会の会員で日顕書写の本尊を持っていたほとんどの会員が、すでに日顕書写の本尊を取り替えている。”本尊書写こそ法主の権能”と偉ぶっていた日顕にとってこれほど、悔しいことはないだろう。そして今や、宗門の中でも早瀬が書写した本尊の下付が始まり、徐々にではあるが明確な流れとして、古い日顕書写の本尊を「当代の本尊に」と取替えが始まっている。
池田名誉会長に嫉妬し、自分の名前を残すために「C作戦」を画策した日顕は、還著於本人の仏罰で自分が書写した本尊と共に永遠に広布の歴史から消え去るのだ。(編集部)

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