新・改革通信 NO.94号 (2008.12.19)”ポスト日如”に揺れる宗門。そして、世界大不況が明年の総登山を直撃する。 檀徒は供養地獄で瀕死の状態!

今日、十二月十九日、日顕は八十六歳となる。日顕は隠尊であるものの、宗門の全住職が、この日顕の誕生日を祝うわけではない。

宗門は師僧や在勤寺院による派閥と、婚姻による閨閥で構成されている。日達門下の「妙観会」、早瀬系の「宝器会」、そしてそれに対抗するために、日顕が旗揚げした「越洋会」だ。

日顕の誕生日を祝うのは「越洋会」だけだ。

他の住職らの関心は日顕の誕生日ではなく”日顕の身体がいつまで持つか”ということにある。

日顕に何かあれば、信彰は法主になれない?
以前にも述べたが、日如が登座した頃は、陰で”日如は信彰を法主にするための、ワンクッション、五年間だけのつなぎの法主”と言われていた。

しかし、最近、日如の周辺から”日如さんは死ぬまで辞めないつもりらしい”という声が漏れ伝わってきた。これが本当だとすると、日顕の”日開、日顕に続いて、阿部家から三人目の法主を出す”という目論見が危うくなる。

日顕派と日如派、それぞれの思惑がぶつかる
日顕は自分が元気なうちに、隠尊の権威を駆使して、息子の信彰を法主にしようと企んでいる。

現実には有り得ないかもしれないが、万が一、日如が不慮の事故などで相承できずに亡くなった場合は、隠尊の自分が信彰に相承するという、究極の裏技も使える。

しかし、逆に日如が猊座にいる間に自分が亡くなれば、自分の影響力も消滅し、次期法主は早瀬系になる可能性が高まる。

日如は昭和十年二月生まれであるから、間もなく七十四歳になる。日顕よりも十二歳も若い。

もし、本当に、”日如が死ぬまで猊座にしがみつく”のであれば、これは日顕にとって思ってもみなかった誤算になる。

そういう意味では、日顕の誕生日は、”自分の元気なうちに信彰を法主に”という日顕の思惑と、”日顕が亡くなった後に早瀬系から法主を”という日如の思惑がぶつかる日と言うこともできる。

日顕は宗内に自分の存在をアピールし、早瀬系は日顕の体調を窺がうのである。

号令だけで人を動かそうとする日如の浅はかさ
日顕と日如の大きな違いは、宗門運営の手法にある。日顕は感情のまま、その場の思いつきで、宗内を動かそうとする。それは、日顕が自分の力を宗内に示したいからだ。

それに対して日如は、小ズルイ。法主になった途端に、「地獄の大願寺」時代の暴力路線を切り替えて、愛敬を振りまくようになった。

親修の際にも、日顕はふんぞり返って、檀徒に伏拝をさせて悦に入っていたが、日如は、ニコニコしながら、檀徒にもお辞儀をする。意図的に日顕とは対照的に演じている。

その小ズルイ日如は、日顕のように、自分の下に人を集めるのではなく、方面別の大会を行い、地方の組織を盛り上げながら、明年の総登山に勢いをつけようとした。

こういう手法は学会の物真似としか思えないが、形だけ真似ても、人は動かない。結局、”目標を立てさせて、それを檀徒にやらせる”という宗門坊主特有の「檀徒支配」の手法に陥り、無理な結集によって、かえって信徒に負担をかけ、組織を疲弊させるという裏目に出てしまった。

信仰の歓喜がない宗門檀徒は、はるか遠いゴールに向けて、スタート時点ですでに体力を使い切って倒れかけている。そして、その倒れかけている檀徒に大不況が襲いかかろうとしている。

世界大不況が総登山を直撃する
 アメリカから始まった百年に一度といわれる不況は、世界に広がり、明年は想像もつかない規模で、経済の破綻が広がると言われている。そして、その兆候が毎日のニュースで報じられている。

日本ではリストラされた人々が寮や社宅を追われて、生活費どころか住む家もないまま、この年末を迎えねばならない。専門家は、この不況は明年の春から、極めて深刻な事態になり、失業者は三百五十万人近くになると分析している。

つまり、宗門は日本経済が最悪な時に、「五十万総登山」を行うことになる。日如らは不況であえぐ檀徒に、追い討ちをかけるかのように、年何度も登山させ、更には膨大な供養をさせようとしているのだ。

日本の檀徒も大変であるが、海外の檀徒の負担はそれ以上である。なぜなら、この円高で、海外から日本への渡航費用は、軒並み、倍になっているからだ。

すでに先月から、日本への一般観光客の数は半減している。そんな中で、宗門が無理やりに海外からの登山を強行すればどうなるか。

“登山しないと宿命転換できない”と脅されている檀徒は借金をしてでも登山するしかない。しかし、その結果、檀徒の生活が破綻しても僧侶は、決して責任をとらないし痛みも感じない。

供養を絞り取られるだけ、取られて、供養が出せなくなれば、捨てられる。檀徒を生活の糧とする、それが宗門のやり方だ。

世界が節約に向けて努力している中で、日蓮正宗だけが、世の中に逆行して、檀徒を無理やり日本に呼び、供養地獄に招き入れようとしている。世間の人はそんな宗教をどう見るであろうか。宗門は世界中で、非常識で、非人間的な非理非道の教団というレッテルを貼られるに違いない。(編集部)

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