新・改革通信 104号(2009.10.13) 時が経てば経つほど、浮き彫りになる正本堂破壊の”狂気” 信徒の供養で建てられた堂宇を自ら破壊した僧は、仏教の歴史の中で、日顕ただ一人!

昭和四十二年十月十二日、正本堂建立発願式
昭和四十三年十月十二日、着工大法要
昭和四十四年十月十二日、定礎式
昭和四十五年十月十二日、上棟式
昭和四十六年十月十二日、躯体完成式
昭和四十七年十月十二日、正本堂完成奉告大法要

 このように、正本堂の建立は世紀の大イベントであった。完成奉告大法要のビデオを見た者は正本堂の威容
 と厳かな式典の模様に息を呑む。

 ところが、平成十年六月二十三日、池田名誉会長に対する嫉妬の感情に支配された日顕の命により、突然、
 正本堂の破壊が始まった。この暴挙に対して、設計者の横山氏や建築家など多くの人々が反対を唱えたが、
 日顕はその声に一切、耳を貸さず、破壊を断行した。

 解体に際して、多くの一流建設業者は、その依頼を断った。当たり前である。社会的にも、人道的にも許さ
 れることではない。

 正本堂は普通の堂宇とは訳が違う。八百万信徒の浄財で建立された世紀の大殿堂である。これだけの大殿堂
 を正当な理由もなく破壊した事件は仏教史に存在しない。

 ましてや僧が信徒の浄財で建てられた堂宇を破壊するなど、絶対にあり得ないことである。すなわち、日顕
 の名前は”反仏教の魔僧”として永遠に刻印されるのだ。

 日顕は”信徒の浄財を破壊する”という、僧として決して許されない大罪を犯した。まさに”狂気”のなせ
 る業である。現法主の日如には絶対に出来なかったことであろう。

 しかし、日顕が犯した罪は、それだけではない。

 正本堂は単なる建物ではない。世界八百万信徒の真心の供養であると同時に、大聖人の御遺命である広宣流
 布のために戦った、師弟不二の信心の結晶である。

 すなわち、日顕は、宗祖以来の魂である師弟不二の信心に、自ら矢を向け、極楽寺良観と同じように、日蓮
 門下を迫害する側に回ったのだ。

 この”狂気の蛮行”は、時が経てば経つほど、浮き彫りになっている。いずれ宗門は日顕を歴代法主からは
 ずすしかない。不幸にも、日顕一人のために、日蓮正宗そのものが”反仏教・反大聖人の団体”となり下が
 っている。刑期執行と同じで、結論は出ている。あとは時間の問題である。(編集部)

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