新・改革通信 NO.116 (2011.10.27) 「法華弘通のはたじるし」を信徒支配に悪用する日蓮正宗こそ、大謗法である [日蓮正宗改革同盟]
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」(御書 一二四三頁)
日蓮大聖人は末法の民衆の救済のために、大難を忍ばれて御本尊を顕された。すなわち、「広宣流布のための御本尊」なのである。
しかし、創価学会が誕生する以前の宗門では、古くからの檀家がいたが、そのほとんどは折伏どころか、勤行さえしていなかった。
例えば、昭和六十年当時、讃岐の本門寺の法華講の講頭も家は昔からの檀家だが、やはり勤行ができなかった。
すなわち、創価学会が誕生する前の日蓮正宗というのは、他宗のように、僧侶だけが経を読んでいたのだ。
それでも、代々の法主は御本尊を書写していたが、それは新入信者のためではなく、供養が多い者に下付するための本尊であった。
大石寺の周辺、讃岐、仙台などの古い檀家、いわゆる墓檀家は複数の御本尊を受持している者が多い。話を聞くと、様々な法要の折に多額の供養をして、その”褒美”として、御本尊を下付されたというのだ。
その代表が日顕の父・六十世日開である。日開は、昭和三年の登座直後、供養した信徒に本尊を書写して下付したが、その際に「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべき讃文を、「仏滅度後二千二百二十余年」と誤写してしまった。
この日開の”御本尊誤写事件”は、当然、宗内で問題とされ、日開は「タダ漫然之ヲ認タメ何トモ恐懼に堪ヘヌ」(「声明書」〈御本尊問題の顛末〉)と、「漫然」と書写して間違ったと謝罪している。
その住職が、日顕にこのことを報告し、どうすべきかと聞いたら、日顕は、「本人は気付いているのか。気付いていないならそのまま知らん顔しとけ」と言っただけだった。
今の宗門にとって、御本尊は広宣流布のためでなく、信徒に賞罰を与えるものなのである。
すなわち、彼らの本音は”供養をすれば御本尊を下付してやる”、”言うことを聞かなければ、御本尊を下付しない”ということだ。
このような宗門の実態からわかるように、日蓮大聖人が「法華弘通のはたじるし」として顕わされた御本尊を、大聖人の御精神のままに弘通してきたのは、創価学会だけなのである。(終わり)