新・改革通信 NO.126 (2011.11.19)[授戒編]宗門の授戒文は「日蓮宗」とほぼ同じ 正式な制定は昭和41年、「古来から」は大ウソ
しかし、この御文を見る限り、これは「出家」に対する授戒である。最蓮房は、佐渡流罪中、大聖人に帰依をした。天台僧の最蓮房は、比叡山で法華迹門の戒を受けていたはずで、独一本門の戒を大聖人から受け直したと伝えられる。
同じく大聖人の弟子の日昭の授戒について、日亨上人は「最蓮房だけは佐渡において大聖よりあらたに本門戒を受けたる御書あるが、日昭においては御門にはいるとともに本門戒を受け直したりとの文献も、伝説も見えず」(『富士日興上人詳伝』)と述べている。
大聖人の御在世においては、「出家」の弟子に対してさえ、授戒の記録は、最蓮房以外に残っていない。まして、「在家」の信徒が授戒を受けた記録は、まったく無いのが現状である。
学会の草創当時を知る、故・和泉最高指導会議議長の証言によれば、信徒に対する「御授戒」の儀式は昭和十二年ごろ、牧口先生が宗門に依頼して始めてもらったものだという。
当時は、いくつもの宗教を遍歴したうえで入信するケースが多かったので、正しい信心への”けじめ”をつけるためであったということだ。
このとき、宗門の大勢は御授戒に反対であったという。そのため、授戒を行っていたのは、歓喜寮(中野区)と砂町教会(江東区)に過ぎず、あとから常在寺(豊島区)が加わったということである。
とある。
すなわち、末寺によって授戒文はバラバラであったのだ。
『日蓮宗仏事行事集』(石川教張編)に日蓮宗の授戒について「授戒 ─ 今身より仏身に至るまで、本門の本尊・題目・戒壇を持つことを誓う」と書かれている。
また、日蓮宗には「御経頂戴」という儀式がある。勤行の後に法主が「今身より仏身にいたるまで、よく持ちたてまつる」と唱え、信徒も唱和する。どう考えても、今の宗門の授戒文は日蓮宗を真似ているとしか思えない。
日興上人も、『三大秘法口決』の裏書きに、「受持即受戒なり、経に云く是を持戒と名く」(『富士宗学要集』)と記されている。末法における「受戒」とは、御本尊を「受持」することであることは明白だ。