新・改革通信 NO.129 (2012.03.08)創価学会出現以前の宗門の「秘史」(二) 法主が失踪し、僧俗会議で法主を選出

「僧俗会議」で法主を選出
 『日霑上人伝』には、日霑法主と日盛法主の確執が書かれているだけではなく、法主の選出についても、記述がある。
まず、『日霑上人伝』には
「其の年十二月大衆檀徒等、学頭広道院を大坊へ請待す 五十三世日盛上人是なり」
とある。
 これは、学頭であった日盛法主が僧侶と檀徒により、大坊に入ること、すなわち法主になることを請われたということである。法主の選出に信徒が関与していたことがわかる。
また、同伝には、日盛法主が失踪して、日英法主が再度登座した時のことを、
「盛師の還住歟然なくば英師の御再住あらん事を只管に懇望す 是に於いて衆檀会議の上、英師御再住の事に決し予を迎ふ」
と説明している。
これは”日霑法主が、日盛法主が猊座に戻るか、もしくは日英法主が再び登座するように強く望んだが、衆檀会議で日英法主が再び登座することに決まった”ということである。「衆檀会議」すなわち、僧俗会議で次期法主が決められたことが明記されている。
昔の貧しかった宗門では、檀家が大きな力を持ち、人事も含めて、様々な形で宗門に影響を与えていた。


日霑法主と日盛法主の確執を認めていた日顕
宗門は「日霑法主と日盛法主の確執はなかった」と言い張っているが、二人の法主の確執を認めていたのが、他ならぬ日顕である。 
日顕はある僧侶に、
「日霑上人は日盛上人を歴代から除けと怒っていた」
と語っていたという。
法主が人間である限り、行き違いや確執があっても、当然のことであろう。それを「法主は絶対である」と言い張るほうが不自然である。


貫首が己義を構えたという場合には、
用いてはならないと指南した日顕
「遺誡置文」の 「衆義たりと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」の文について、日顕は平成四年八月の全国教師講習会で次のように述べている。
「貫首が己義を構えたという場合には、皆のほうが用いてはならない。これも私はそういう在り方が、あるいはあるかと思います」「南無阿弥陀仏と私が唱えだしたら放逐するだろうね。絶対に放逐しなきゃいかんよ!」
法主が間違いを犯せば、放逐することはあり得ると、日顕自身が指南しているのだ。
間違った法主を用いないということは「従わない」ということであり、宗門から放逐するということは、「退座」であり、最終的には、歴代系譜から「除歴」するということになる。
日顕の盟友であり、指南役とも言われていた故・河辺慈篤は、学会が破門された後、日顕について
「「あれ(日顕)は除歴しなきゃならん。六十七世はいないんだ!」
と発言している。日顕の裏の顔を知る河辺の発言は重い。

史実を見れば、僧俗の会議で法主を選んだ場合もあるし、選挙で法主を選出した時期もある。
すなわち、法主はあくまでも宗派の代表者であり、特別な存在ではない。だから、法主が問題を起こす場合もあるし、近代史を見れば、問題を起こした人間が法主になる場合もある。
また、法主の地位をめぐって派閥争いが激化したこともある。そのことを示す史実は多い。追って紹介していくことにする。(続く)

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