新・改革通信 NO.145 (平成30年8月28日) 渡邉慈済住職の証言―日蓮正宗と創価学会の初期の交流・本山編(4)

立宗七百年記念大法要
 宗門は昭和27年に立宗700年を記念する法要を行ったが、如何にして檀家を集めるか、それが宗門の課題であった。本山の檀家は300人程度しか集まらない。そこで、当時の宗門の中心であった高野総監、渡邉慈海、佐藤舜道、柿沼広澄、早瀬道応氏らが全国を回って、参加を呼び掛けた。
その結果、集まった壇家は2500人。それに対して、創価学会からは4000人。法要の参加者の半数以上は学会員だったのだが、そのような中で起こったのが、「狸祭り事件」であった。

 

「狸祭り事件」の真相について
 この事件の中心人物は、戦時中、「神本仏迹論」という邪説を作って軍部にすり寄り、身延との合同も画策、そのうえ、日恭法主を告訴して宗門を牛耳ろうとし、当局による学会弾圧の発端をなした小笠原慈聞という僧である。
小笠原は昭和17年に擯斥処分されていた。ところが、昭和26年に、その小笠原が宗門に復帰したという噂が流れ、同年5月1日付の『聖教新聞』に、そのことに関する記事が掲載された。戸田会長は会長就任の時に、その事実を細井庶務部長(後の日達法主)に確認した。
以下、渡邉慈済住職の証言である。
昭和26年5月3日、第2代会長・戸田城聖氏が就任した時、戸田会長は一大決意として「私が生きている間に75万世帯の折伏は私の手でする。もし出来なければ、私を品川沖に捨てよ!」と広布に大前進することを誓い、その式に列席していた細井庶務部長に、柏原ヤス理事と共に次のことを要望しました。
「戦時中、神本仏迹論という学説を作って、時の管長上人を悩まし、当局による学会弾圧の発端をなした小笠原慈聞という悪僧が今以て宗門に籍をおいているという事である。今、学会は全国大折伏に死身になって進んでいる。どうか本山においてもかかる徒輩が再び内部をかき乱すことのないようにして下さい」と頼むと、細井庶務部長は「現在宗門においてはかかる僧侶はおりません。小笠原は宗門を追放されています」と答えられたのです。(手記より)
このことを受けて、昭和26年5月3日付の『大日蓮』の5月号には以下のように発表されている。

お断り
五月一日附聖教新聞に鈴木日恭上人を告訴し日蓮正宗を解散せしめやうとした坊さんが総本山に居る旨書かれていますが、かかる僧侶は現在の日蓮正宗に僧籍ある者の中には一人も居りません事を明かにして置きます。

昭和二六、五、三
宗務院庶務部

 ところが、翌年、立宗700年という意義深い時に、大聖人の仏法に違背した小笠原が本山にいたのだから、学会側は驚いたのである。(続く)

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