新・改革通信 NO.157(令和2年8月14日)戦後75年 宗門の若手僧侶が知るべき戦争責任問題(下) 布教の手段として、アジアでは「懺悔し─」と指導していた宗門

教義を改変してまでも「国策」に従っていた
ことを認めている宗門
 宗門は平成3年に以下のように述べている。
「一切衆生救済の根本尊崇の大御本尊と、一切衆生の信仰を正しくするために、日蓮大聖人から伝えられた教義の秘伝を軍部の圧政と日蓮宗身延派の野望によって破壊侵害されないために、表面上国策に従い、実際にはそれを無効にしたのである」(「日蓮正宗と戦争責任」)
 宗門はここで、はっきりと「表面上国策に従い」と、軍部に迎合したことを認めている。彼らは「表面上」とごまかしているが、「神本仏迹論」を説き、大聖人の仏法を曲げて国家神道に屈したのだ。大聖人の仏法に違背してまでも、国策にしたがい、信徒を扇動したのだから、決して「表面上」などという言葉で済まされる問題ではない。日蓮仏法の正義は身延派によって侵害されたのではく、宗門が自らの手で破壊したのだ。


「過去のことを懺悔し」と法主のもとで海外部長が指導
 平成15年8月22日に総本山で行われた「全国教師講習会」で当時、海外部長であった尾林氏(故人)が次のように述べている。
「御下命により、50分ほど時間を頂戴いたしまして、現在、海外部を中心にして進めております海外布教研究会の現況について御報告させていただきます。(中略)韓国人あるいは中国人に対しましても、またシンガポールやマレーシア、特にまたフィリピンでも、そういう国にまいりますと、やはり反日感情というのは、まだまだ抜き難いものがございます。(中略)したがって私達も、そういう国に赴任して布教する場合は、やはり過去のことを懺悔し、そしてまた、そういう国の人々の痛みを理解し、分かち合うという認識をもった上から、日蓮正宗僧侶としての教導を図っていくということを、どうしても考えていかなければならないという側面があるということを知っていただきたいと思います」(『大日蓮』平成15年10月号)
 尾林氏は話の最初に「御下命により」と述べている。すなわち、法主の指示により全国の住職に対して、布教のための方便として“懺悔しろ”と指導していたということだ。宗門ぐるみで過去の罪を隠しながら、上辺だけで懺悔しているふりをする。彼らの御都合主義とも言える言動は僧侶として恥ずべきものであり、アジアの人々の痛みを理解することなどできるはずがない。


必ず、戦争責任と向き合わなければならない時が来る
 宗門は戦争責任に対して、沈黙を続けているが、終戦80年、終戦100年を迎える中で、必ず、教団として戦争責任と向き合わなければならない時が来ることは間違いない。特に、海外布教を進めていけば、宗門の戦争荷担の実態を知ったアジアの人々から、いつ糾弾されてもおかしくない。その時に、矢面に立つのは、今の若手僧侶であることを忘れてはならない。
 我々は繰り返し、宗門の戦争荷担について追及していくことが、次の世代に伝えていくことになると信じている。ゆえに、これからも宗内僧侶に日蓮正宗の戦争責任問題を訴えていく所存である。(以上)

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