日蓮正宗問題研究3 – 信徒欺く法主絶対の虚構
(8)「芸者写真裁判」について

 各マスコミでも報道されましたが、日顕法主が高級料亭で芸者衆を呼び遊興している証拠写真(小誌4ページに掲載)について、宗門は、本年5月1日に創価学会と池田名誉会長に対し、損害賠償請求訴訟を提起しています。

 このいわゆる「芸者写真裁判」の真相を明かにしておきたいと思います。

[訴訟の内容]
 創価学会の機関紙(正確には青年部の機関紙)「創価新報」が、日顕法主と芸者衆が写った写真を「偽造して」掲載し、報道したことは、「日蓮正宗」と「大石寺」という宗教法人の「宗教的な人格権」や「布教権」を侵害し、名誉や信用等が害されたから、謝罪広告と10億円の損害賠償を求める、というものです。

[経緯]
 「創価新報」は聖職者でありながら信仰を忘れ、腐敗堕落した宗門、なかんずく日顕法主の在り方を厳しく問いただすために、さまざまな報道を行ってきました。その一つとして、法主と芸者の遊興問題が、平成4年11月4日と同18日付の「創価新報」紙面に掲載されました。

 ところが、この写真が掲載されると、日顕法主は「妙観」や「慧妙」という宗門の機関紙を使い、当初、この宴会の事実そのものを躍起になって否定したのです。すなわち、写真は日顕法主の「首をすげ替えた合成写真」「猊下は、写真に写っているような柄の袴は持っていない」等と真っ向から否定しました。また、日顕法主自身も、平成4年12月6日に法華講員に対し、「『創価新報』に私が芸者に取り囲まれている写真が大きく掲載されていた。あれは『合成写真だ』と皆もいっている。専門家の目から見ても合成らしい。私自身も記憶に全くない。あったら覚えています」と明言し、写真は合成で「創価新報」の報道は捏造であると決め付け、芸者衆との宴会そのものを否定したのです。

 しかし、本年2月、この写真の提供者の証言で、日時は昭和61年11月22日、場所は東京赤坂の高級料亭『川崎』と真実が明らかにされました。

 すると宗門は、今度は、あわてて宴会の事実は認めざるを得なくなり、様々な言い訳を始めました。

 まず、宴会の日時、場所が明らかにされた直後のこと、法主側が発信したと思われる文書(執筆者不詳)が、突然、宗内僧侶の間などにファックスで送られてきました。その中では、「(撮影日時が明らかになったことから)当日その席に出席していた多数の御僧侶・奥様達から当日の写真や説明があり、猊下御自身も当時の状況を思い出されたという事です」などと、全く子供騙しの言い訳を通そうとしたのです。

 また、その後も法主側は、“招待された席だから問題ない”などと釈明し、更には「創価新報」掲載の写真は、他の僧侶などがカットされているから「偽造」だと強弁し、丁寧にも、宗門機関紙「大白法」などにノーカットの「真正写真」と「偽造写真」の二つを並べてみせたりしたのであります。

 「創価新報」が、日顕法主と一緒に写っている他の僧侶などをカットして掲載したのは、写真の提供者から、場所と同席者については迷惑をかけたくないので分からないようにしてほしいとの要請があったためでありました。いうまでもなく、「創価新報」が意図したことは、宗開両祖の教えに背いた一宗の法主の堕落を糾弾することが目的であったのですから、このような配慮は十分うなずけるものです。

 宗門は、「他の僧侶をカットして猊下一人の遊興のごとくみせかけて名誉を毀損した」などと主張しているのですが、法主一人であろうと、他にだれがいようと、法主が芸者をあげて遊興したことに何ら変わりはなく、それこそ、法主自身が宗開両祖以来の「少欲知足」の宗風に反し、堕落したという問題の「本質」を示して余りあるものであります。

 そのうえ宗門は、大勢の芸者をあげての宴会を認めただけでなく、あろうことか今度は開き直り、芸者と遊興することを正当化するために、「猊下が芸者衆のいる席に出ることは、一切衆生を平等に救済する、本宗の末法無戒の精神の裏付けがあられたと拝する」などと弁明する始末なのです。

 このような言い訳が、末法無戒のはきちがえもいいところであることは、だれの目にも明らかであり、これには宗内僧侶も呆れ返ってしまいました。そればかりか、あれは合成写真で、学会の捏造だと宗門の説明を信じて、法華講員等への言い訳に当たってきた僧侶は、日顕法主の嘘に騙されたと、一様に憤慨したのです。

 学会は、このような宗門の対応に対し、赤坂でのこの宴会が、奢り切った遊興そのものであることを、芸者の三味線、生バンドの演奏でマイクを握る僧侶たちの写真など次々と出し、その後も報道したのです。

 以上のような経緯から、宗門は、末寺僧侶や法華講員のこれ以上の動揺を押さえるために、あえて、「名誉毀損」による訴えを提起し、法主の堕落という本質問題をすり替えようとしているだけなのであります。

 そもそも少欲知足であるべき僧侶の宴席に何故、芸者を呼ばねばならないのでしょうか。これまでも日顕法主ら宗門高僧は、学会の御供養にあぐらをかき、広宣流布、死身弘法も忘れ、何かといえば高級料亭で芸者を呼んでの宴会を設けていたのであります。

 この宗門の腐敗堕落こそが問題の本質であり、そのことは、心ある宗内僧侶が感じていたのです。学会からその本質を指摘された時に、本来なら、深く恥じ入り、反省して出直すべきだったのです。それを、嘘をついて宗内僧俗をごまかし、揚げ句は、法主の遊興を正当化したうえに、学会を訴えるというのは、宗門の恥の上塗りでしかなく、宗史に大きな汚点となる暴挙以外のなにものでもないのであります。

 これでは、もはや、宗門には一点の良心もなくなってしまったといわざるを得ず、私どもも僧侶として慙愧の念にたえません。この無道心、この堕落。宗開両祖が御覧になられたら、どれほどお怒りになられることか、ただただおそれるものであります。

機関紙「大白法」での「芸者写真」

機関紙「大白法」での「芸者写真」

宗門は機関紙「大白法」で、「芸者写真は合成だ」と嘘をついたことを必死にごまかそうとした。しかし、「真正」と「偽造」とどこが違うのか?法主の芸者遊びになんらかわりはない。