新・改革通信 NO.33 (2005.12.07)歴史は真実を語る(2)

歴史は真実を語る。日顕らは法主弾劾者の末裔(2)
三宝に誓って、法主批判。誰も法主を僧宝と考えていなかった

「誓約書」の始まりはこうである。

「現管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統治ノ資格ナキモノト認ム、吾等ハ、速カニ上人ニ隠退ヲ迫リ宗風ノ革新ヲ期センカ為メ、仏祖三宝ニ誓テ茲ニ盟約ス」

法主を批判するのに「仏祖三宝ニ誓テ茲ニ盟約ス」とあるではないか。すなわち、当時の宗門では誰も法主を三宝の一つとは認識していなかったということである。もし、彼らが法主を僧宝とみなしていれば、こんな文章を書くわけがないではないか。

日顕らはこの事実をどうみなすのか。この「契約書」を歴史の事実として認めるならば、宗門の伝統において、法主は僧宝ではなかったということになる。

〃いや、法主は僧宝であり、無謬である〃と断じるならば、この「契約書」に署名した六十世、六十一世、六十四世の歴代法主が三宝破壊の罪を犯していたことになる。

この「誓約書」には八項目にわたって日柱法主への批判が書いてある。

一、 大学頭ヲ選任スル意志ナキ事。

これは日柱法主が猊座に居座っていることを暗に批判したものである。近代の、法主の相承の次第を見ると、日顕とは異なり、時期法主はまず大学頭に任じられている。

当時の宗会は、日柱法主が大学頭を選出しないのは、次期法主を選出しないという意味であり、猊座にしがみついていると、批判しているのだ。当時の宗会は、色々と問題のあった日柱法主を一刻も早く退座させたかったのであろう。

先日、十二月一日に、日顕が総監の早瀬を学頭に任じたのは、このような近代の相承の次第を気にしているからだ。自分には何の次第もないので、せめて次を譲るときには形だけでも取り繕うと考えたのだろう。しかし、日顕自身の相承の証明ができない限り、こんな形式など無意味である。

日達法主の時代までは、宗会が管長の不信任を決議することができた。このこと自体が、法主が無謬でないことを証明している。悪い法主を排除しなければ、正法を守ることができない。それが開山・日興上人の厳格な遺誡である。

ところが日顕は宗制宗規を変更し、宗会を無力化してしまった。悪法主が出現しても最早、宗門には自浄する手立てがない。立宗以来、最悪の状態にあるのだ。(続く)

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