新・改革通信 NO.113 (2011.10.21) 昭和27年、「布教会」が日寛上人の御本尊に統一 法道院の近くのアパートで従業員が本尊を印刷 [日蓮正宗改革同盟]
我々は宗門の過去の歴史を明らかにし、彼らの批判がただの僧俗差別の偏見に基づいた邪義であることを白日の元にさらす。
しかも、表装された状態ではなく、本尊が印刷された本紙の状態で下付され、御本尊を受けた本人が自分で表具屋に頼んで表装してもらう場合もあった。
ただ、信徒が使う表具屋も色々で、他宗の本尊を真似た表装などが問題になり、その都度、宗門で表具屋を認定するようになった。
この場合、「開眼」などしていない。というより、宗内に「開眼が必要」ということを言う者など誰もいなかった。
また、本山が東京の末寺がすることにいちいち口を出すことはなかった。
そして、昭和二十七年、宗門の「布教会」が、日寛上人の御形木本尊に統一することを決定した。
そして、本尊の印刷を請け負ったのが、豊島区・法道院内の「仏書刊行会」であった。
ただ、実際に、本尊の印刷を行っていたのは、僧侶ではなく、従業員の信徒であった。しかも、印刷が行われていた場所は、近くのアパートの一室であったというのだ。
そこで印刷された本尊は、特別な儀式もなく、そのまま末寺に送られていた。
日達法主は、”日寛上人の御形木本尊があるのだから、わざわざ書写しなくても”というお気持ちであったと聞いている。
そして、昭和四十一年から日達法主の書写した御形木本尊が授与されるようになったが、本尊の印刷は、引き続き、法道院内の「仏書刊行会」で行われていた。
しかも、本尊の印刷を本山内で行っているわけではなく、富士宮の法華講員が経営している印刷会社が請け負っている。
そこから印刷された本尊が、十体ずつ箱に入れられ、さらにその箱が段ボール箱に入った状態で本山に届けられる。そして、そのまま、開眼の儀式もなく、末寺に発送されていた。
宗門の歴史を見れば、”すべての本尊を法主が開眼”などというのは、まったくのウソであることがわかる。彼らは僧俗差別の感情から、信徒を欺き、難癖をつけているだけだ。(続く)