日蓮正宗問題研究2 – 『C作戦』の真相・底流
(5)日顕法主の信じられない二枚舌

 法主がマスコミを利用し、信徒攻撃をそそのかすとは、到底、聖職者とは呼べぬ行為です。とくに段勲は「反学会」を売り物にする、典型的な「売文屋」の類いであり、言論人としての公正な信念をもって記事を書くことは、まず期待できないといってよいでしょう。事実「法主極秘会見」の夜、段は、退転者で元学会教学部長の原島嵩、同じくフリーライターの内藤国夫、反日顕法主の「正信会」の機関紙「継命」新聞の編集長ら、有象無象の輩とともに投宿し、談合しています。加えて、段は本宗の宗義の根幹に関わる御本尊の問題について、全くの捏造記事を週刊誌に出したりもしています。日顕法主のやったことは、まさに、正気の沙汰とは思えぬことでありました。

 しかも、法主自身はかつて、そうした行為を「経文の道理に全く反した行為」「それほど卑怯な、大聖人様の仏法の風上にもおけないような姿はありません」とまで言い切っていたのです(以下に掲載)。

 今回の問題でも、様々な場面で日顕法主の虚言癖、二枚舌といものが問題をより複雑にしてきましたが、これらも追って紹介したいと思います。

■日顕法主の説法
現在、日蓮正宗の一部の僧侶と一部の檀徒がマスコミの連中と一緒になって、そして、そのマスコミを利用して、日蓮正宗の信心をしておるものに対して、迫害し、誹謗し、徹底して攻撃をしております。“そんなばかげたことがあるか”と私は言いたいのであります。経文の道理に全く反した行為を平気で行っている人たちに対して“どのような心をもって御書を拝読し、法華経を拝読しているのか”と問いたいのであります。

(中略)

そのようなマスコミの勢力を利用して、日蓮正宗の正しい御本尊を受持信行している人を攻撃することは、それこそ本末転倒であり、それほど卑怯な、大聖人様の仏法の風上にもおけないような姿はありません。“この道理が解らないようでは、日蓮正宗の僧侶ではない”と、私は思います。

(昭和55年8月28日 教師講習会開講式の砌)